平成15年の冬に長野県のスキー場で友達とアルバイトをしている時でした。スキーやスノーボードのレンタルでしたが、店の帳簿をたまたま見て、会計の不正をしていると思いこんでしまいました。その晩、他の仲間たちと宿舎で酒を飲んでいる時、別の部屋へ移動したらスキーウェアーを着た亡霊が数人立っていました。友達やアルバイト仲間に幽霊がいることを伝えましたが、誰にも見えませんでした。

   怖くなり、布団に潜り込むと、今度は布団の上から押さえつけられる感覚と当時憧れていた木村拓哉の声の幻聴が聴こえて来ました。みんなに話しても声は聞こえておらず、その日はリーダーに付き添ってもらい夜を過ごしました。

   次の日の仕事は友達も休みをもらい、その日に親が迎えに来る事になりました。友達と二人で宿舎にいると、またザワザワと鳥肌が立ち、押入れに誰か人が入っている気配がしました。トイレに行くとまた幻聴が聞こえ、「階段へ行け」と言われました。そして、2階の階段へ行くと、後から「バイバイ」という声とともに、ポンっと背中を押され、階段を転げ落ち、2重扉を突き破り外へ飛び出されました。幽霊から逃げるように、国道に飛び出しそうな所を友達が必死で押さえつけて助けてくれました。その後、病院に運ばれ額に14針と手首に7針縫いました。

   病院ではまた外人の生首だけが見えたりしていましたが、やはり友達には見えていませんでした。病院には警察が来て、尿検査をさせられました。警官は「おかしいな、おかしいな」と言っていました。おそらくは検査で薬物反応が出なかったからです。それから、病院に親が迎えに来て、友達とともに地元へ帰りました。

   家に帰ってからもティッシュを丸めて宇宙を作ったり、自分が神になったような感覚に襲われました。そして、その夜天井が迫ってくる感覚に陥り混乱状態になり、病院へとはこばれました。病院では、「神様になったような気がする。何でも出来るような気がする」と言い、その後ほとんど不眠状態だったそうです。そして、医者や看護師に暴言を吐き、意思疎通がとれなくなり、幻覚妄想に支配され、初入院となりました。そして、手足を拘束され隔離病棟へ入りました。

   長くなってしまいましたが、これが統合失調症の始まりです。みなさんも似たような体験があると思います。ここから現在まで約17年この病気と付き合っています。

   この病気になってから様々なことがありました。1番厄介で辛い症状は認知機能障害で記憶力や判断力など高度の機能が低下しているとことと感情の平板化で嬉しい・楽しいがリアルに感じれなくなったことです。例えば、テレビを見てもノイズだらけのテレビを見ているのと変わり無く映っていたり、記憶できないので2人以上の会話に入っていけなくなりました。この2つの症状から、コミニュケーションが取りにくいので、孤立してしまうことも多々ありました。

   そこで感じたことは暇が一番辛いということです。アルバイトが出来るまでに回復するのに約5年かかりました。悲しくてもその感情も曖昧で涙も出ません。その時は、1日1日が無意味に感じていました。そこから、仕事を持ち、家庭を持ち、子どもを持つことができた軌跡を皆さんにお届けできたらと思います。統合失調症で失うものもありますが、得られるとものも沢山あると思っています。精神病で人生を諦めることなど何もありません。共に明るい未来に向かって進んでいきましょう。

   長くなり申し訳ありません。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。