私は、自分が誰かの犠牲になり、この世の中が少しでも良くなればいいという犠牲的な考えを多少なりとも持っていた。しかし、誰かのために自分が生きているわけでもないし、犠牲という言葉がマイナスに聞こえる。なので、物事をポジティブに捉えるためには、結果が悪くても「いい経験になったな」や「自分では頑張った」と思えたらいい。それをできるかどうかはわからないが、そういう心持ちが大事で、それにより悲観的にばかりならず、現実感が得られると思う。現実感とは今を生きているという実感だ。

    人生を楽しむには、結果が悪くてもいいし、悪いを良いように変換できたらなおいい。そして、自分の頑張りを自分で褒めてあげればいいと思う。自分の子どもたちはこれから色々な困難にぶつかるけど、こういう心持ちが大事と伝えていきたい。そして、あらゆる困難を乗り越えていって欲しい。

    人のために自分を犠牲にしていたら、どこかで人のせいにしてしまう。人と宇宙、人と神、人と人とのつながりが感じられ、どこか現実的ではない所に価値を大きく持っている人は、現実の認識が薄れてしまう。現実を生きるためには、やはり自分のためや自分を大事に思ってくれている人たちのために生き、大概のことはどんな結果になっても前向きに捉えられる自分でいたい。

    人は悲観的な人の所には集まらない。楽しい人や面白い所に人は吸い寄せられて元気をもらう。悲観的になっている時は元気で楽しそうな人に近づいてみよう。そして元気をもらい、心のパワーを充電させたら、また人が自分の所にも集まって来るかもしれない。人とのコミニュケーションが苦手な人でも、明るく楽しい人のそばで笑顔でいれば、誰にも変に思われない。変に思われてると感じる場合は、自分自身が過剰に人からの視線や言動を気にしている可能性がある。いわゆる自意識過剰状態になっており、相手は何も思っていないのに、相手の気持ちを自分勝手に想像して、不自然なコミニュケーションになる。大概の場合、相手は自分のことをそんなに観察していないし、話に夢中で人のことなど考えていない。相手の反応が気になりコミニュケーションが下手と思っている人は、周りから見ればそうでもないことも多い。

    なので、悲観的や暗い気持ちの時は堂々と明る  く楽しく、優しい人に近づき、ニコニコと笑いながら話に集中して雑念は横においておこう
もちろん一人になりたい場合は一人になって心の整理をすればいい。しかし、大概は一人になると悪い方に考えが及び、余計に暗くなるので、ほどほどにした方がいいとおもわれる。

   悲観的に物事を見てしまうのは、自分の心の持ちようなである。頭だけで考えすぎず、違うことや楽しいことに目を向けて、大事な人のことを考えたりしながら、悲観的な意識を自分の大切な人や時間のために使っていき、楽しく・明るく・優しい人に近づくことが、毎日を楽しく生きるコツである。

   最後まで読んでいただき、ありがとうございました。