ラグビー人生40卒業 | 山親父の日記

ラグビー人生40卒業

私は建築科だったんですが、卒業設計という課題があったんです。


今まで学んできたものの集大成。


全部で図面、50枚以上になります。



セレクションや勉強合宿と平行して進めてましたが、全然はかどってなかったです。


このままでは大学に受かっても台無しです。

本当に寝ないでやりましたが、3月1日にみんなとの卒業式に出れませんでした。

3月15日に二次卒業式があり、20人程と一緒に卒業しました。


全体の?卒業式の前の日曜日に、卒業生追い出し試合があり、下級生達と別れました。


その後食堂でパーティーがあったんです。


先生が1人づつ卒業生を壇上にあげ、思い出と共に進路の説明をするのですが、

私だけ、まだ合格の知らせが届いてなくって、


「多分大丈夫だと思います。」


という紹介でした。(笑)


私、明治大学がもしダメだったら、進学を諦め。



ニュージーランドに奉公に出される事になってました。


留学ではありません、


レストランで働いて、クラブチームに入る事になってました。


今思うと複雑ですが、当時は勘弁してよって話です。

その後無事、文学部フランス文学科の合格通知が届き。


東京に向かいます。


新人合宿は15日に始まっており、2日程遅れて参加しました。


まさに旅立ちの朝、お袋は、四年間芝生に寝ころがっていても良いから楽しんで来いと。

多分危ないプレーするなという意味だと思います。


親父が車で駅まで送ってくれました。


途中で家から五分ほどの彼女の家に寄ってくれて、彼女をピックアップして。



途中親父が、


「四軍でも、五軍でもいいから腐らずに頑張ってこい。」と

いつもの親父らしく無いことを言ってました。


彼なりのエールだったかもしれません、


京都駅のホームについて、親父は気を利かせて少し離れてくれました。


彼女は泣き出して、

「電話ちょうだいなぁ」


「夏休み早く帰って来てなぁ」と言ってました。


この後親父はちゃんと送りとどけてくれました。


こうして東京に向かいました。



あの地獄の合宿所に。