ラグビー人生32 | 山親父の日記

ラグビー人生32

この年の国体、京都少年チームは波乱に満ちていました。


ケロさんの時は春に完全優勝したので初めて単独チームで出場しました。


それまではチューリップ赤園高校が単独だったと思います。


長音記号2さんの時も前に書きましたが。ほぼ単独でした。


さて私達の代、FWは伏見中心、BKはチューリップ赤園中心の合同チーム編成になりました。


FWは346チューリップ赤園の選手。BKはWTBに清水、FBに梅が入りました。


両チームのキャプテンが入っているので、間をとって(何の間だ?)


1人同志社高校から選ばれた大橋君がキャプテンになりました。


試合に出ないのに。



FWは私がリーダーで好きに組み立てろとのことでした。


しかし様々な因縁のあるチーム同士です。


同じラガーマンとして恨みがあるわけでは無いですが、細かいチームプレーを相手にさらす訳もなく、ありきたりの戦法でいくしかありません。


BKもほとんどサインプレーがなかったです。


一泊二日のミニ合宿をはったりしましたが、生活はともかく、ラグビーに関しては一切打ち解けなかったです。


実際宿舎では私いつも大阪チームの部屋に入り浸ってました。


滋賀国体の緒戦はこちらも混成チームだった東京でした。


向こうもバラバラ感はありましたが、CTBに入った国定(当時梅木)の素晴らしい個人技等で負けました。


この試合で国定と初めて対戦しましたが、凄かったです。インサイドCTBから、スワーブを切って、うちのWTBの外を抜いてました。

京都はまとまりのないうえ、有りがちですが、リードされただけで、プレーが荒くなり乱闘があちこちで勃発しました。


そんなことしている場合じゃ無いだろうと、止めてまわるんですが、上手くいかないジレンマがそんな形になりました。


結局敗者復活線でも負けて。

たった二試合で終わってしまいました。


国体の後に引き続き高校ジャパンの二次合宿があったんですが、参加の声は掛かりませんでした。


前にお伝えしましたが、京都は秋に二回トーナメントがあります。最初が体育の日に決勝が行われる、京都大会。


決勝でチューリップ赤園高校に負けます。


優勝した次の年の伏見が調子悪くなるジンクスは、私達からです。


西京極で行われた決勝戦の後表彰式でいただいた、準優勝の賞状をベンチに戻り清水が破り捨てます。


次の全国大会予選は、前年度優勝校枠で免除されます。


結局チューリップ赤園高校にはリベンジできませんでした。


全国で花園を目指して高校生が凌ぎを削っているとき、私達は先輩のお陰で無条件で出場が保証された大会に向けて練習をつづけます。



次回は花園まで。