ラグビー人生30夏合宿 | 山親父の日記

ラグビー人生30夏合宿

春のシーズンが終わった頃、大工大の河川敷きのグラウンドで関西地区の高校ジャパン選考会が行われました。


うちのチームからも5人ほど参加したと思います。


体力測定や短距離走の計測。


背筋力の測定で私は確か140kg程だったのですが。


清水は300kgの計測器の針を振り切りました。


今は余り話題になりませんが、ラグビーには(破壊力)という数値があり、


背筋力を体重で割った数字が3、0以上有れば優秀であると言われてました。


あの大八木さんで2、7だったと思います。

今でいう体幹の強さが突破力に繋がるんでしょう。


清水は4ポイントをはるかに超えていましたから凄いです。


清水の事は別の機会に書きます。


選考会は1日で終わりました。


午後の紅白戦ロックで出場します。この時もインゴールに転がるボールに飛び込みトライします。


そんなことで、しばらくして、菅平で行われる高校ジャパン一次合宿の参加要請書が送られて来ました。


私と梅、スクラムの要、高谷の3人でした。


私の書類には特にポジションは明記されてなかったんですが、選考委員の先生の所に来た書類には、フランカーのメンバー表の一番上に私の名前が。
しかも最初の紅白戦はAチームの6番での出場が決まってました。


1年の時No.8を少しやりましたがフランカーはやったことありません。


しかもディフェンスに問題があるのにブラインドサイドです。


チームの6番、ゴロハチにスクラムの注意点をレクチャーされ、実践経験の無いまま向かいました。


チームではラインアウトをキャッチする側でしたが。当時フランカーがスローインしていたのでこれもやらなくてはなりますんでした。


元々器用だったんでスローインは得意でした。


3人で夜行列車に乗って菅平に向かいました。


背番号は通し番号で合宿中変わりません、私の次は高鍋高校の染山で、何をするのも常に隣。部屋も食事も。


彼の息子が今年母校の明治に来てSOで頑張ってます。

食事は長テーブルに番号順に並ぶんですが、隣に染山、前が同じく高鍋のSH児玉その隣が延岡東のSO松尾(与作)3人に宮崎弁を教えてもらい直ぐに仲良くなりました。


与作はジャパンで活躍してワールドカップにも出ていますね。


それまでの高校ジャパンは紅白戦を多くやって各チームの主力選手を集めたドリームチームみたいだったんですが、


この年からフィットネスを数値化してより選考に加味されました。


3000m、600mとラグビーサーキットを頻繁に計測しました。


私頑張りましたが、高熱を出して休んだりしてしまい、ジャパンには入れませんでした。


しかし合宿で全国に友達ができました。その後の大学時代にもこの時知り合った仲間と繋がりが続きます。

初めてのフランカーでしたがそつなくこなし、体力的にもこのポジションでやっていく自信がつきました。




ちなみに染山君はイングランドに向かいました。