☆「背中に掛ける『敬意』と『感謝』」


目と目が合った相手に挨拶をするのは誰もがやる事。

向かい合った相手に挨拶をせずに別れる人はいないのではないか?


「商人(あきんど)」の世界では、お帰りになるお客さまの「背中」にどれだけの感謝を込めて「ありがとうございました」と言いながら、お辞儀が出来るかが大切だと、私が子供の頃よく見ていた「どてらい男(ヤツ)」で何度か聞いた。


実際、商売をされている方々でそれを実践しているショップ、会社は多い。素晴らしいと思う。


現物が存在する「お金」や「品物」が絡んでいる場合は目に見える「対象物」がある分、実行しやすいかもしれない。


しかし「やり取りする対象物」が無くても、背中に敬意を示して深くお辞儀をする世界もある。


極真空手の世界がそうだった(今はそれをする道場は殆どないだろう)。


大山総裁や古参の師範、先輩が見えなくなるまで見送り、見えなくなった瞬間に「押忍!」と十字を切ってお辞儀をする(車に乗っている時も同じ)。

極真会館や大山総裁にとって大切なお客さまの時もそうした。


任侠の世界でも行われている事なので、当時は嫌がっていた人間もいた可能性がある。


しかし、その真意さえわかれば何の違和感もない。

日頃、お世話になっている「敬意」を、こちらを見ていない相手の背中に掛けるのだ。

相手が気付いていない、背中を見せている時こそ、「感謝」「敬意」の念を示すのが「本物」であると私は強く感じる。

更に、長く相手の背中に「感謝」「敬意」を示しながら見送っている際、その相手が違う動きをした時には(忘れ物や困り事)、直ぐに対処、サポートが出来る。

実際にそうなった時に、大山総裁や古参の師範、先輩に対して、私たちは脱兎の如く近付き迅速に対応した。


それを知っている大山総裁や古参の師範は、角を曲がったり、私たちが見えなくなるところに動くと、こちらを見て、手を挙げる、軽く頭を下げるなどの行動で私たちに「気持ち」を返してくれる。

そんな場合には、こちらも更に気持ちが入り、大きな声で「押忍!」と十字を切ってお辞儀をする。


この修行期間の好影響で、私は友人や大切な方々と別れる時(例えばどちらかが車で去る時、駅の改札口で別れる時、相手か私が電車に乗った時なども含めて)は、最後まで見送る、見続ける習慣が付いている。


それは良い事であると思っているので、様々なプラスを説明して、自分自身の道場でも稽古生たちに伝え継続した。


今の世の中では「パワハラ」の一環になりそうな事だが、相手が見ていない時にこそ示す「相手の背中に掛ける『敬意』と『感謝』」は大切であり、それこそが『本物』であると感じ取れる人間が、現在ではどのくらいいるのだろうか。


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