『仁義なき戦い』第四作の『仁義なき戦い頂上作戦』(1974年)にチンピラ役で出演した俳優小倉一郎。名作シリーズに出演したからには、俳優の足跡(傷跡)を残したい気になった。出演依頼は組の兄貴を親分の命令でピストルで射殺する子分のチンピラ役である。

 

映画は兄貴分の松方弘樹が同じ組のチンピラ子分小倉一郎から射殺されるシーンである。それこそ無名なチンピラから組の大立者が無残にも殺される。組の親分の胸先三寸で、今や邪魔になった大幹部者が排除される。糞の役にも立たない者から殺される大立者、これこそ非情の論理だ。それだけに一層役立たずな小者を演じたいのは役者根性だ。もらったシナリオではわずかに映画の主役がチンピラのピストルで射殺される一コマだけだ。芸歴の長いだけが取り柄の小倉一郎は、野心だけは燃えた。

 

俳優小倉一郎はテレビで気弱な痩せた少年・青年の役で人気があった。青春スターとしては花も色もないといっていい。そんなテレビの役もマンネリ化して、子役は20歳を過ぎると役もなくなり消えてゆく年齢であった。子役から大人の俳優に脱皮する正念場であった。何か演技をして脱皮したかった。

 

監督の深作欣二に挨拶をした。

「よろしくおねがいします」

「ああ」

「監督。チンピラって、何でいるんですかね」

「そりゃあ、もてるからだよ。組に入れば兄貴がいて、飲食遊びに、全部面倒見てくれる。何にも考えないし、仕事もしない。天国だな」

「ところで、ピストルで兄貴を撃ち殺す。そのあと小便ちびる、なんてどうですか」

「・・・」

むすっと、苦虫を噛んだ不機嫌な監督の顔が、一変して小倉一郎の顔を睨んだ。

「何か、やりたいの」

「ええ」

「そういうことは松方弘樹や菅原文太が皆んなもうやってんだよ。やめとけ」

「・・・」

 深作欣二は小倉一郎が今回のチンピラの演技をその気で生き込んでいるのを察した。弥勒菩薩が救いの手を差し出すというが、そんな慈悲深い顔をして言った。

「おい。自転車を並べてやれ。それでさ、自転車を倒して逃げ出す。ドブ川に逃げて、ドブネズミになった所で捕まる」

「はい」

 小倉一郎は深作欣二の言った塩梅を忘れないように反芻した。

 

組の兄貴(松方弘樹)に可愛がられて、面倒をみられたチンピラ子分(小倉一郎)は、そんな兄貴に義理があるが、親分から殺せと命令されると、いとも簡単に「へい」と承諾する現代っ子の人間だった。義理・人情などからきし持たず、むしろピストルで兄貴を上手く仕留められるか、を気にする薄っぺらい人間だった。殺した瞬間に可愛がってくれた兄貴という大切な人間を殺した意味の重さを知るのだった。そんな現代っ子のチンピラ・ヤクザを演じた小倉一郎だった。

 

『仁義なき戦い頂上作戦』に松方弘樹をピストルで射殺するチンピラ役で出演した小倉一郎だったが、まさに鉄砲玉に使われるチンピラ・ヤクザの無残で残酷な、無知蒙昧な人間の役柄を、演出するのだった。実際の人間小倉一郎にとって、はるかに自分以下の人間を演じる、演じ切れる所に俳優業の魅力がある。乞食と役者は三日やったら辞められないという。栄光から薬物中毒に転落する前に、彼は俳優の悦楽の味を知った。まっしぐらに落ちた田代まさしがいて、落ちなかった小倉一郎がいた。今小倉一郎は俳句の宗匠で生きている。

 

*因みに、原作は飯干晃一が広島のヤクザの美能組組長の手記に解説をしたものです。宮尾登美子が野上弥生子を訪問した時、この国民的作家は宮尾登美子の実家が女衒(女を売る商人)をしていた特異な家柄に興味を持って、根掘り葉掘り聞いていたという。仕方なく種本の『仁義なき戦い』の話をして野上弥生子を煙にまいたと述懐している。女衒つまりヤクザ者の世界を、日本を代表する国民的作家が興味津々だったという。宮尾登美子は噴飯ものの作家と思わないでもないが、野上弥生子ともあろう人がヤクザに興味を持ったことに心打たれないでもない。

 

 

 

陰謀論の大家馬淵睦夫の説が実に明解に、会談の本質を腑分けしているように見える。

 

  ゼレンスキー失敗説(戦争継続であり、戦争に勝って終える。支援継続に失敗)

  トランプが引っ掛けた説(ゼレンスキーは平和ではなく単に戦争をやりたがっている。勝てないのに)

 

上説はバイデンに会って兵器支援の継続を引き出すのだが、戦争嫌いなトランプは応じなかったので失敗したとする。下説は、ゼレンスキーは3年間戦争を続けて勝てないのに、さらに戦争継続をする。戦争に勝ってウクライナ全土を回復してから戦争を終結する。日本が中国本土に進行し南方に進行しミッドウェー海に進行拡大したが、ついに本土決戦で勝利して終戦にしょうとした。つまり限りなく戦争継続をするだけの本音を暴露させた。ゼレンスキーは戦争は勝つのではなく戦争を続けるのが目的だ、と言わせてしまった。躓き石を置いて転ばせた。さすがの昭和天皇も陸軍と心中するわけにはゆかず、涙を呑んで陸軍を切り離した。日本史は長い間軍隊は外注(アウトソーイング)で来たが、明治維新で自前の陸軍を持って帝国の崩壊を招いてしまった。

 

アメリカは共和党の大統領なのに、ウクライナは依然として民主党色の大統領でいた。帰国したゼレンスキーは初めてそれに気づいて共和党色の大統領に染まったらしい。

 

                         *

 

二人のホワイトハウスの共同記者会見だが、長々とテレビ中継で50分の公開放送されながら、ゼレンスキー一人に、トランプ等数人が出席して反論した。ゼレンスキーは敗者の平和を求めず戦争継続を求めた。終わりの10分で、プーチンが侵略した戦争であり、断固負けるわけには行かないと、平和ではなく「聖なる戦争」の継続を表明した。ヒトラーがポーランドが欲しい、チェコが欲しいといった時、断固拒否して戦争をしていたら、第二次世界大戦は起こらなかった。プーチンはウクライナが欲しいと与えたら、次はポーランドであり、ドイツでありフランスに進軍するだろう。ヒトラーはパリのエッフェル塔で手を振ったが、プーチンがエッフェル塔で手を振るだろう。「で、あんたは世界第三次大戦をやろうとしているんだ。ホワイトハウスから出て行け」(トランプ)という所で終わった。

 

ゼレンスキー大統領はすっかり戦争大統領の汚名を着せられた。今考えるとバイデン大統領が与えた2600万ドルの兵器のキャッシュバック、前国防相の中抜きで、細々と戦場に届いた兵器で、ウクライナはロシアと戦争をした。

 

バンズ副大統領は、天下分け目の4州の大統領選挙であるペンシルバニア州でゼレンスキー大統領は民主党のカマラ・ハリスの支援演説をして、トランプの大統領当選を危うくしたA級戦犯であると、激しくゼレンスキー大統領を非難した。つまりゼレンスキー大統領は共和党のトランプ大統領にとっては敵である。しかも今もって民主党支持であり、共和党の現職のトランプ大統領を支持していない。民主党支持から共和党支持に変更したのなら、当然その表明をしろ。戦争継続は民主党支持であり、トランプ大統領は戦争締結を表明しているから、ゼレンスキー大統領はそれに即した政策変更をすべきであろう。もしそうなら、武器支援の懇願ではなく、一日も早いプーチンとの会談を催促すべきだろう。トランプ大統領に兵器支援を催促するのはお門違いである。一日も早くプーチンと会談して平和締結をお願いすべきであろう。兵器の支援は、ゼレンスキー大統領が今も民主党支持を変更していない証拠である。

 

ヒートアップしたゼレンスキー大統領は改めてプーチンの侵略戦争を強調した。こうして民主党支持のゼレンスキー大統領は、馬脚を現して、民主党のネオコンのプーチン脅威説を反復するばかりであった。(多分スタークもマクロンもバイデン同様に支援金はキャッシュバックがあるので、積極的なのだ。ゼレンスキーもキャッシュバックがある。トランプはキャッシュバックされる軍事産業がない。)キャッシュバック構造の有無の差だ。

 

馬淵睦夫によれば、トランプはゼレンスキーの前に躓き石を置いてわざと転ばせたと言うのだ。そんな気がしないでもない。馬淵睦夫の陰謀論は循環論法なので、沼にはまる前に足を抜こうか。

 

 

 

 

ゴルフ好きのトランプ大統領はゴルフ場でプーチンと平和についてゴルフ談義していたら、それをギャラリー(観客)として傍観していたゼレンスキーが平和締結の話し合いにウクライナを入れろと野次を飛ばした。

「戦争もしていないし、少しも勝っていないじゃないか」

 トランプ大統領が反論した。

「おまえの所の前国防相は兵器を送れば、戦場に到達する前に半分の兵器は消えている。転売して私腹を肥やしているんだ」

 トランプは金がなくなるとアメリカにやって来て6000億ドル引き出す最高のセールスマンだとゼレンスキーを皮肉っている。救国戦線なのだが、半分はバイデン大統領にキャッシュバックされた。全然戦争をしないで、戦費中抜きの戦争ビジネスなのだ。

 アメリカの人気司会者のライオネル・タッカーは、スイスのスキー場にはウクライナの多くの戦争成金たちがスキーを楽しみに来ていると指摘している。戦争する金は彼らの懐を肥やしているのが現実だった。

 ところでゼレンスキー大統領が呆然自失して大失態したトランプ大統領との会談は、ゼレンスキー大統領自身が公金チュウチュウしていたことが暴露されたショックらしいのだ。スイス銀行にはゼレンスキー大統領自身の口座があり、世界各国のウクライナ支援金がゼレンスキーの私的な口座に入金されていた。それが馬鹿にならない金額で、トランプ大統領から指摘された。それで面目を失った。選挙して選ばれていない大統領という指摘も自尊心を損ねた。

「あんたには言う権利はない」

 愛国心づらしながら戦争で私腹を肥やしていた。そういう意味では典型的なウクライナ人でもあった。

 そういえばお馬鹿キャラのタレントの滝沢カレンはウクライナ人らしい。お馬鹿キャラで売っているが、実はウクライナ人はお馬鹿さんらしいのだ。ナチス・ドイツが進軍すると咄嗟にナチスを支持してしまう。スターリンに公然と反対してしまって、穀物を取り上げられて100万人が餓死する。単細胞な国民性といえそうだ。

 アメリカ研究家の前島上智大教授はこれでゼレンスキー大統領は「終わり」だと言っている。優柔不断の研究家だが、今回は早い決断だ。アメリカ学界の重鎮で、ああ見えても学界では有力なボスです。日本にはああいうタイプの学者は多いです。大した研究能力はないが、人を恫喝する能力には抜群で学界ボスになる。体は太った大狸だが、抜け目のない男であった。でも予想の当たらない前島教授のことだから、ゼレンスキーは生き延びるのかも知れない。

 

追伸:オールドメディアはどうも使い物にならないですね。石破首相がトランプを訪問して握手したが、トランプが両手を出すと、そこで画面がカットされる。石破首相の立場に立てば、石破も両手を差し出した所をカットするなと言いたい。何故カットするのだとファクト・チェックしたい所だ。そうした人がジャニーズ喜多川で、テレビ業界を支配した。うまい。故ジャニーズ喜多川を内閣参与でファクト・チェックさせたら、石破はテレビを支配し人気上昇だよ。

 

例の会談をチェックしていた所、ゼレンスキーが切れた所を発見しました。バーンズ副大統領が「ペンシルバニア州でカマラ・ハリスを支援する演説をしやがって」と場違いな発言をしている。大統領選挙の関ヶ原という所が4州あってその1つなのだ。ゼレンスキーがトランプ敗北の鍵を握った裏切者なのだった。あの時世論はカマラ・ハリス当選であった。木村太郎一人がトランプ当選だった。辛うじてトランプが勝ったが、ゼレンスキーがトランプを苦境に立たせたA級戦犯なのだ。ゼレンスキーはこの野郎でトランプの敵だったのだ。ペンシルバニア州の恨みが予想外に大きかった。トランプ当選を当てた中林美恵子と小谷哲男は今回はハリス当選だった。それだけ接戦で、ゼレンスキーは敵に塩を送った謀反者だった。でも、ゼレンスキーも節操が無ければよかったが、妙に反骨精神があって、こんなことになった次第です。政治コントで出て来たコメディアンだけに、骨があるのが裏目に出ました。

 

 

さて余談ですが、お騒がせのビッグモーターが社名変更してヴィーカースになったらしいですね。買主の伊藤忠は悪名高い旧名使用に躊躇したらしい。そういえば兼重社長の目黒区青葉台のソニー旧盛田邸の豪邸も最近手放したらしい。2020年に20億円で購入した超豪邸でしたがわずか5年の所有でした。金持ちの栄枯盛衰も激しいですね。旧所有者の盛田昭夫も企業戦士で巨万の富を築いた氏ですが、その分家庭を顧みず、遺産を相続した息子さんはタレントの岡崎友紀と結婚しましたが、2000億円の遺産は今ゼロになり実家の愛知の味噌屋だけが残ったという。本人は遺産相続がゼロになり、むしろ負の遺産がゼロになってサバサバしているらしい。「お父さんの仕事は無ですよ」。家庭を犠牲にした1960年代の企業戦士の夢の跡です。胡蝶の夢といって、蝶々が羽ばたく一羽ばたきに過ぎないという故事です。秦の始皇帝や毛沢東の業績は無価値だった。兼重や盛田の息子は親父をそう評価しているわけです。

 

 

 

 

 

その前に、宮本武蔵と塚原卜伝との出会いがある。当時無名の剣客宮本武蔵は、剣豪の名の高い塚原卜伝と試合をして勝って名を高めたいという野心に燃えていた。塚原卜伝の住んでいる家を突然訪問すると、剣術の試合を申し込んだ。

「そういう奴らが糞のハエのようにたかってくる。毎度相手にしていたらたまらんよ」

「糞のハエですか」

 若き宮本武蔵は笑えた。精進一途でやってきたが、意外な気がした。剣豪がこんな下品な男だったとは。

「そうだな」

「すると先生は糞ですか」

「まあ。そうだな。ハエにたかられる俺はそんなものかも知れんよ」

「さすがに卑下する所は達人ですね。天下一の剣豪が糞ですか」

「俺もお前も毎日臭い糞をするしな。俺の体臭がハエをおびき寄せるのかな」

 塚原卜伝は薄笑いを浮かべた。

「えい、糞食らえ」

 宮本武蔵は突然剣を抜いて、飛びかかった。こんな下劣な男が剣豪であるはずがなかった。

 囲炉裏で対面していたので、火に掛かった鍋の蓋を取って、盾とした。囲炉裏端で数回、矛(剣)と盾(ほこ)とが行き交った。決着が付かない。武蔵の強烈な腕力と、さらりと交す卜伝の無気力。武蔵は一回一回消耗していった。

「さあ。どうした。もう力が無いか」

「・・・」

「俺は何度も交わせるが、手が痙攣して痛いよ。止めにせんか。夕飯の椀が持てなくなる。本気で怒るで」

 卜伝は笑い半分、真剣半分だった。

(殺す気か)と武蔵は思った。宮本武蔵は真剣勝負だったが、塚原卜伝はそうで無かった、か。その瞬間に平身低頭で、詫びを入れた。

「お前も天下一の剣豪になったら、死ぬまで命を奪われるぞ。弱肉強食の因果の輪を断てるかな」

 塚原卜伝は薄笑いを浮かべた。こうして『五輪書』の極意を授けられた。剣術に五つの因果論があって、絶対王者は決して剣を持たなかった。弱肉強食の因果は必ず強者に喰い殺される因果の輪にある。武蔵は卜全を倒しに来た。この因果の輪の中にいたら、当然卜全は武蔵に倒されるのだった。卜全は武蔵と真剣勝負をしなかった。巌流島の佐々木小次郎との勝負をした時、武蔵は負ける時だった。時間に遅れたり、剣を持たず船の櫂を削って木刀を使った。敵の心を乱して心理作戦に出た。心を乱して武蔵に負けた。剣を持たざれば、負けること無し。

 

                          *

 

ボクシングの赤井英和(1959-)は浪速高校で、プロレスの前田日明(1959-)は北陽高校で、私鉄沿線が違うので絶対面体することはなかったというが、都市伝説は通学途中の電車でかち合ったことになっている。二人は電車内で出会うと、ガンを張り合った。一瞬でも視線を外すと負けになる。だから視線を外さない。遠場にいた二人は次第に接近し、対面した。30分も対面していたが、一向に手が出ない。

(こ奴、やるな)と探りを入れた。待ちきれず、手が出る。小競り合いになって、ケンカは決着する。お互いに、持久戦になった。さすがに不良高校生には「肉を切らせて骨を折る」テクニックは持ち合わせてはいなかった。もっと単純だった。ただひたすら持久戦に耐えるだけだ。こうなると真剣勝負で、歯止めが利かなくなる。大怪我になるなと結果が予想すると、始められない。

「何時になったら始めるんや。早うやらんかい」

 という声がした。場外から予想外の声がして、二人は振り返った。野球部の制服を着ていた。

「俺は北陽高校野球部の岡田彰布だ」

 と岡田彰布(1957-)が名乗った。前田日明は同じ高校で先輩だった。顔も見たことはあった。

「モウモウ、牛じゃあるまいし。角迫り合いしやがって」

 ケンカ止め、ではなくて早くケンカしろという扇動であった。そういうケンカの止め方もある。これ幸いと戦意喪失して二人は矛を収めた。この話はこれで終わった。

 

数年が経過した。テレビで、ボクシング・プロレス・野球と各分野が違うが、赤井英和・前田日明・岡田彰布の名前が取り沙汰された。顔もテレビに映し出された。当時無名だった不良高校生で名前もお互い知らなかったが、3人の顔を見覚えていた。勝てる相手と思ったが、予想外に強くて勝てないと思ったら、やらないケンカの勝ち方がある。孫子の兵法の真髄は戦わずして勝つだが、不良高校生は孫子など読まないが、体験談で学んでいたのだった。雑魚とケンカして、消耗していたらたまらない。互角の相手は大ケガがある。頂点に君臨する悪は戦わないことなのだ。

「あいつやんか」

 3人はテレビを見ながら、電車内の巌流島の対決を思い出していた。3人が3人皆絶対王者になっているのに身震いがした。「1人ぐらい道外して、ヤンキーにでもならんかい」

 そう述懐した。「あれでケンカしていたら今の俺はいなかったな」とつくづく思った。負ける喧嘩は愚の骨頂、勝つ喧嘩を選んで喧嘩をする。それが絶対王者だった。天下無敵とは違うのだった。3人はあの時それを学んだ。

 

 

*余談ですが、今兵庫県維新の会県議員の除名問題が話題ですが、情報をオールドメディアに渡したら握り潰されるので、N党の立花孝志に送ったと弁明した。オールドメディアの失態は凄いですね。NHK以外は警察の提灯番組で特集番組を放送している。昔NHKには『事件記者』という番組があって、警察よりテレビ局の記者がいち早く事件を解決したり、捜査の誤りを指摘して正義を主張した。ジャーナリズムとはそういうものだった。ある頃から突出したテレビ局には警察に取材させなくなり、萎縮して何も取材しなくなった。警察の広報にテレビかなっていった。それでいまのテレビは警察の提灯番組をやっている。何かあったらオールドメディアは役に立たない。N党の立花孝志だということになった。(除名される維新の会県議に維新の会の精神が生きている。)

 

 

 

 

第二次世界大戦(日米開戦)を参戦する会議は昭和天皇を拝して、8人の英傑の出席した昭和16年9月6日に開催された。それから50年後の東京のとあるホテルでプロレスラーの三沢光晴の弟子の結婚式が開かれた。両者の間で喧嘩上等の密議が交されたのであるが、水準のあまりの低さに驚かされるのであった。戦前の英知の集まりは、一プロレスラーの頭脳以下なのかよ、呆れる次第です。

 

O御前会議出席者

昭和天皇(学歴は学習院卒。平成天皇はエリザベス女王戴冠式に出席すると、学習院大学中退になるのだが、昭和天皇はそれで構わないと言ったそうです。学歴より天皇の方が上らしい。秋篠宮は庶民に落ちて学歴を気にするのが残念です。)

 

参謀総長 杉山 元(陸軍大学卒)

軍令部総長永野修身(海軍大学卒)

総理大臣 近衛文麿(京都大学卒)

外務大臣 松岡洋祐(明治大学卒)

陸軍大臣 東条英機(陸軍大学卒)

海軍大臣 及川古志郎(海軍大学卒)

企画院総裁 鈴木貞一(陸軍大学卒)

枢密院議長 原嘉道(東京大学卒)

 

O三沢光晴結婚式出席者

三沢光晴(足利工業大学付属高卒)

天龍源一郎(両国中学卒)

長州力(専修大学卒)

小橋建太(福知山高校卒)

柳葉敏郎(角館高校卒)

中野英雄(義務教育)

上島竜兵(ダチョウ倶楽部・村野工業高校卒)

 

さて、三沢光晴の弟子の結婚式に同僚のプロレスラー(天龍・長州力・小橋)や知人代表のタレント(柳葉・中野)が参加した。

 

三沢光晴は一世風靡の柳葉敏郎の方をしばしば見ている。それに気づいて、「この野郎ガンくれてるのかよ」と思いに至った。それが止まらない。次第に腹が立ってきた柳葉敏郎は、俳優の中野英雄に「俺は三沢を倒すから、英ちゃんは天龍を倒せ」と命じた。「えっ。こいつ、まじでいっているのかよ」と内心で呟いた。プロレス好きの中野英雄は最盛期の天龍源一郎の最強さを知っていた。「プロのプロレスラーに素人が勝てるわけねえだろう」と呟いた。立って席を離れると、ホールから出てトイレに行った。すると生憎中に小橋健太がいた。そして声を出した。「三沢光晴に何でガンをとばしているんだよ」と大声で言う。中野英雄は一切無視して、小便をして去った。(小橋も大人、中野も大人)ホールに戻ると、なにごともなかったようにすました。(中野も大人、柳葉も大人)

 

後日談では、柳葉敏郎のテーブル近くにダチョウ倶楽部の上島竜兵がいて、三沢光晴とは昵懇の中で、挨拶がてらに盛んにアイ・コンタクトを送っていたのだと言う。それが柳葉敏郎にガンをくれていたように見えたらしい。ちなみに柳葉敏郎と中野英雄は六本木で遊んでいた時、アメリカ人やってこいと柳葉に命じられて、ボコボコにされた経験があってから、面従腹背を学んでいた。

 

ところで、御前会議の面々は、難関大学卒でありながら、日米格差12倍の国力の差が学べなかった。子供の頃から天下を取ったアンファンテリブル(恐るべき天才児)だった彼らは、世間に無敵だった。ケンカをやったことがない面々だったことに尽きるようだ。ケンカの達人はプロレスラーとはしない。中野英雄は言う、暴走族は対面では絶対服従だけで、いなくなればケチョンケチョンだよ。

 

御前会議の面々は大人に成れなかった子供たち(天才児)、だったのかな。こんな人達に国運を左右された悲劇だね。