「老子が読みたーい」と思って
家にある本を手にしました。
久しぶりに読んでみたら
以前より腑に落ちてわかる〜
老子、ありがとう♡と思って、アイドルを見るみたいにキュンキュンしました🫶🏻💘笑
紀元前の思想家にキュンキュンするなんて
好きな言葉はたくさんあるんですが、特に好きなのは…
自ら内なる声に従い「忠(ちゅう)」を守って生きるのに まさるものはない。忠とは、自分自身の真ん中にいる、と言うことだ。
自分の世界は、
自分から全てが始まっています。
自分が出発点
中心にいながら外側を俯瞰して見て
自分のエゴの揺れを観察して
中心からズレたら修正して
常に心地良い位置に自分を置くことを意識していれば
外側で何があっても
誰がいても
つまらなくても
ネガティブな事が起きても
平穏で幸せで、楽しく居られるんだなって思います。最近、実感しているところ
だから情報は最小限でいいし、アドバイスはいらない。確認程度でいいんですよね。
私がやることは、ここの位置に居続けること。内なる声に従い「忠」を守ること、ですね
好きなクリエイターさんの年賀状が当たりました
やったね!当たる気がしてた♡
好きな老子の言葉…
生きるためには、
あやうい「ものごと」や、あやうい「ことば」を確固たるものと思い込んではならない。
そんなことをすれば、あなたの生きる力が、失われてしまう。
生きるためには
ものごとの根源に立ち返り
自らを、そのあやうさに委ねればよい。
確かなものにしがみつこうとするから、
確かなものに頼ろうとするから
あなたは不安になってしまう。
あなたには、そのあやうさを生きる力が、与えられているというのに。
この考え、スキー!って思っちゃいます
しがみつくと固くなっちゃう
固執して身動きがとれなくなっちゃう
物事、言葉に頼りすぎて信じすぎちゃうと
自分の感覚がにぶるしザワザワします。
外側やエゴが主導権を握り、それに振り回されることになります。外側やエゴが主導権を握っていることにも気づいていないんです。
外側やエゴに力を明け渡してしまうと
いつまでも満たされず、不安なまま。
一時的にエゴが満たされた気になっても
自分軸ではないとすぐ不安定になります。
どんな物事も言葉も多面性で
片一方から見た解釈と
反対側から見た解釈とでは
全然違う捉えかたになります。
その人の捉えかた、時間の経過とともに
意味も変わってきたりします。
これはずっと変わらず続くだろう
いつもここにある、と思うことも
いつか終わりを迎え
また新たなものが生まれてくる。
そうやってどんどん変化していく
考え方も変わっていく
捉えかたも変わっていく
状況も変わっていく中で私達は生きています。
探しても探しても
求めても求めても
これだ!ずっとこのままだと思っても変わってしまうし、外側やエゴが主導権を握っていると満たされることはありません。
シンプルに自分に戻る。それだけ
これは私の本には載っていない言葉なんですが…
現実を現実として、
あるがままに受け入れなさい。
物事をそれが進みたいように、
自然に前に流れさせてやりなさい。
なんですか〜♡この表現はまたキュンとしてしまいました(←変な人ですね 笑)
私だったら見守る、そっとしておく、様子を見るって感じなんだけど「自然に前に流れさせる」って良い意識の持ち方だなーって思いました。
見守る、だと「どうなるのかな?」って気にしてる部分もある意識だけど
自然に前に流れさせる、だと
本当に流れに任せてる
どう流れてもいい
物事の行きたい方へ行きなって
本当にあるがままに受け入れてる意識で格好いいです老子、リスペクト
好きな言葉はまだまだあるんですが、長くなるのでこの辺にします。今日も読んでキュンキュンしたいし、活用していこうと思います
老子が好きな人っているかな?
渋すぎていないかな?笑
いつか誰かと話したいなって思いました