【江戸時代の教育】手習(寺子屋)とは❗️
江戸時代末期の日本人の識字率は世界的に見てとても高いと言われています![]()
これを支えていたのは、私設の教育施設の寺子屋です。当時、上方では寺子屋、江戸では手習とか筆学所とか呼ばれていたそうです。
YouTubeで分かりやすい動画がありましたのでご紹介します。
◯読み書き算盤が主ですが、子ども一人一人に合わせたカリキュラムでした。商人を目指す子、職人の子で違いが。教科書は往来物と言われものすごい数がありました。
◯異年齢の集団で学習。上の年齢の子が下の子を教えたり面倒を見たりしました。
◯師匠(先生)は、体罰をしません。家庭でも教育の場でも体罰による悪影響が広まっていました。ただし、他のものに対する問題行動をした子には、いわゆる「お仕置き」をしました。
◯いつ入ってもいいし、いつ出てもよいものでした。中には10年在籍する子もいました。
◯机の向きはバラバラ。
◯学習に際して、絶対にできなくてはいけないという雰囲気ではありませんでした。全ては、その子の自己責任でした。学習を生かすも殺すもその子次第。師匠の言うことを聞けない子は、親の躾の問題とされていました。
◯止役(とめやく)という、師匠に対してその子の代わりに謝る「あやまり役」がいたことがとても独特だと思います(親、親戚、近所の人、同級生、上級生)。なかなか学習をしない子に対する指導の一つの手立てとしたこともあったと思います。
◯教育の目的は、学問を修めることもありますが、それによる徳育。
◯子どもの主体性を重視した教育でした。
子どもの主体性に任せてよいのか、そのまま大人になってよいのかという疑問がありましたが、100年以上江戸時代ではそれでやってきており社会はそれで成り立ってきたとも言えるので大丈夫ではないかと思います![]()
武士の子弟は、寺子屋の後藩校に入学。また幕末には私塾も登場しました。
江戸時代の教育も、真の教育をどのようにしたらよいかのヒントが詰まっていると思いました。![]()
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かわるかわる
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