去る1月15日、よわい94の母が永眠した。奇しくも父の命日から20年後の同日となった。

 大学3.4年、そして社会人1年目の所帯を持つまでの間、自分は母と二人で過ごす時間が長かった。昼飯を食べながら、よく母の昔話を聞いた。都立保育園の最年少女性園長として「楽しくてしょうがなかった」独身時代。仕事に渾身した当時もネグレクトを繰り返す親は居て、その子どもの家に日参したこと、心を痛めたことなどを話していた。また、己のことは語らなかった父という人柄と素性も、母を通して知ることが多かった。母から父の幼少期や成長期を聞けば聞くほど、これは小説2.3本は書けるなあと驚嘆したものであった程、激烈を極めていた。父と結婚してから母は、文字の通り、父に尽くし父の為に生きた半生であった。激烈かつ不遇を極めた幼少期を経験した父にとって、母は妻である前に実母替わりであり、うってつけの母にとっても父は、保育園で出会った園児たちと同様自分が庇護しなければならない対象であったのであろう。自分は当時、理屈っぽくシニカルな物の見方ばかりしていたから、母の在り方を反面教師としてとらえ、所帯を持ってからは率先して家事も育児もおこなったものだった。

 さて、きりがないので母の話はこれぐらいにして、今日は健康寿命のありがたみというお題。

 妻の両親と自分の両親を看取り、今感じることは、脚と脳の健やかさが健康寿命の鍵になる、ということだ。父はパーキンソン病を罹患したため少し事情はことなるが、一つは脚が効かなくなると、行動範囲が狭まり動かなくなり、結果さらに弱るという悪循環に陥る。特に高齢者福祉の仕事に従事した6年間は、腰椎の圧迫骨折と大腿骨頸部骨折がADL維持にとって命とりとなるケースを多々みてきた。所謂寝たきり一直線だ。それを防ぐための、脚の筋肉の維持と骨粗しょう症の回避。次に脳であるが、身体が元気で認知症が先行する高齢者のケースを扱うにつけ痛感させられたことがある。日本の健康予防の仕組みに、脳の健康度を測るスケールが組み込まれていなかったことを。γGTPの値が高いから酒を控えなければとか、心不全の気があるから再検査しましょうとか、レントゲンに影かあるから再検査しましょうなど、脳以外の臓器は定例的機能チェックに余念がない訳であるが、長谷川式で認知度を測りましょうとか、CTを義務付けましょうなどという機能チェックは健康診断の定番メニューに未だ採択されないままだ。自分が恐れたのは、投薬とアルコール摂取との脳への悪影響だ。だって、摂取すれば判るではあるまいか。降圧剤をはじめて服薬したときの激しい副作用。深酒をした時の酩酊度合い。自分は我を忘れることはアルコールでは出来ないクチだが、そういうクチを傍から見れば、一目瞭然だ。シラフの人格と深酒時の人格と、どちらが本当の人格か~ドクターによれば深酒時に露呈する人格が本当の人格とのことだが~、薬も酒も、脳に相当なダメージを与えているに違いない。ADLの低下か、認知症により自立した生活を送れなくなってからが、日本人は長い年月を過ごす。従って、自分自身は、降圧剤をやめて、明治のカカオ95を日に5回、明治の部長のアドバイスに従っていただき、スロージョグ7.8Kmを週に2回、なにより筋力低下をゆるやかに阻止するために、ディップス200回を週2回。禁酒と夕食をオプティマムドリンクだけにする日を週に2回、入れている。経験的には、禁酒による睡眠の質の改善は体感的に劇的なものがある。また、起床後1時間以内に朝食に替えてプロティンの摂取。これがよわい61の自分の、抗加齢だ。

 結果は今のところ上々。問題は、よわい70になっても、いわんや80になっても、この体感と機能をどこまで維持できるか、となる。脳のためには禁酒日を週2日から3日に増やす。スロージョグの頻度を少しく上げる。タンパク質の摂取割合を増やすあたりが、喫緊の課題となりそうだ。

 もう一つ、母は人の中で輝く人であった。それが彼女にとっての健康寿命の、もっとも鍵となったと感じている。また、月一回定例的に夜の会合をもっている保護司の諸先輩、おおむね70~80の方々だが、なにしろ心身ともに元気だ。よく食べよく呑みよく笑い、そしてよく話す。社会生活の継続~これも抗加齢の重要なエレメントになっていると感じる。今後ますます人との交流頻度の向上は認知症予防の鍵となるのであろう。

 母は動けなくなる直前まで、叔母である母の妹との月1のデートを楽しみにしていた。一昨日の日曜日、叔母と妻とでその軌跡をトレースした。立川伊勢丹の8階で食事をし、

 

 

  映画を見て、お気に入りのとてもしゃれたカフェでコーヒーを飲み、雑誌を交換して帰る。とても素敵な抗加齢だと感じた。

 

 

 

 最後に、この抗加齢の取り組みの成果を、いつまで此方にしたため続けることが出来るか。

 よって、末永く皆々さまとは、お付き合い願いたいものだ。

 

 では、また。

 

 

(こんなに母に、絵心があったとは!)
 
PS.母よ、本当にありがとう。お疲れ様でした。