重要無形民俗文化財の高千穂神楽。本来は、1話40分〜50分踊る物語を、掛けること33話。従って、終幕まで夜通し踊られる神楽だそうであります。コロナ趨勢の時期前までは、それぞれの町で踊られたようでありますが、コロナ禍によって、それらをカスタマイズした、シンボリックな4話を、この高千穂神社にて毎夜20時から、上演されており、念のために予約をして伺いました。といっても、宿の料理がことのほか豪快で美味しく、お酒も進んで夜寝からの奇跡的な復活のため、寝起き二日酔い状態でありましたが、夜の凛とした空気と、古の日本書紀・古事記の舞台である高千穂神社の階段は、やはり結界系。夜神楽が演じられる神楽殿は、ほぼ満員にも関わらず、不思議な静寂の中にありました。受付を済ませ、靴を入れるビニール袋をいただき、畳の大広間で、一畳に二人、観覧することとなります。
 
 
  

 

 

 さて今回、古事記・日本書紀の語部としての高千穂夜神楽に比肩して、能楽と歌舞伎はどのような相関関係にあるのか、その実地検分が個人的な目的の一つでありました。
 まずは、能楽協会による、能楽ガイドから、能楽と歌舞伎の歴史を引用してみましょう。
「能、狂言は室町時代(1336〜1573)に足利幕府の庇護を受け、観阿弥・世阿弥の親子を中心にほぼ現在の形ができました。対して歌舞伎は安土桃山時代(1568〜1600)に出雲阿国という女性の踊りが評判となり、その後、江戸時代に今のような形になりました」
 一方、高千穂の夜神楽は、平安時代(794〜1185)末期から鎌倉時代(1185〜1333 )に発祥とされ、古事記(712)日本書紀(720)を源とした移し換えのプロットを持つ踊りと例えられており、果たして何れの起源を夜神楽に見ることが出来るか、大変に興味をそそられ、いざ、演目の開始です。
 
 
33話の内、演目4話は「天照大神の岩戸隠れ」にまつわる代表的な4話、「手刀雄の舞」「細女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」、最もシンボリックな演目でありました。また、33話の内でも、新面ならぬ能面をかぶって演じるものばかりが集められております。全体の中では、神面被りの舞は半分以下とのこと。
 
 
 第一印象は、歌舞伎の傾くが多用されている所作。踊りのはしはしにこの、傾きによる踊りの句読点が用意されております。
 
 
 また、すり足による移動と、ダイナミックな動きによるプロットの説明が随所に繰り出され、神の逞しさ、荘厳さも表出されるため、動作の連続性によって、とても筋立てが判りやすい舞が展開されます。
 
 
 こちらの演目は、見方によっては荒事で、見得を切る場面も見受けられ、
 
 
 4話の内、2話には、口上ならぬセリフがあり、しかし、聞き取れるものではなく、音に近い発語。
 
 
 神の立ち居振る舞いとは、斯様な物かと、一種独特な風情を出し続け、
 
 
 神々にはヒエラルキーがあるのかと見まがうような所作も、随所に散りばめられ、神が神を敬う、召喚するような所作は大変独特なものでもあり、
 
 
 柔らか面はどちらかというと、能や狂言にシンクロし、
 
 
 強面の面であればあるほど、傾く、見得を切る場面が見受けられ、
 
 
 筋立てを展開させるにふさわしい踊りが展開されておりました。
 
 
 特に仲睦まじく酒を酌み交わす最後の話では、女面の所作が能ライクに秀逸で、静の中の動は、大変に見事なものでした。
 
 
 傾きにない静での饒舌さは、芸術の域。
 
 
 伝承、所謂伝統の継承がなす、深み、高みの表出には、願い年月がもたらした醸成の結晶と言えるものでしょう。
 
 
 
 大変に素敵な演目と、神々の踊り、堪能させていただきました。
 
 
 コロナ禍がより、演じることの意義や、伝承の必要性をもたらしたようにも思え、意義深い観賞経験となりました。
 
 
 能や歌舞伎に洗練される原型、無理やり結論づけてみるとそんなイメージでありましたが、卓越すべきは年月による研磨で、それが高千穂の夜神楽に独自の進化をもたらしている気がいたしました。
 
 洗練具合も良かったですが、今度は、野趣味溢れる継承中の舞も見てみたくなりましたよ。
 
 
 ありがとうございました。
 
 
  観賞から体験へ、堪能した後は、結界から降り、誰もおらない道をブラブラ。ホテルまでは5分程度の距離。観客方は皆霧のように霧散し・・・、酔いもさめたところ、酒屋でビールをゲットし、こちらも酒盛り、再び。

 

 

 つづく