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 舞台芸術や映画における俳優の演技の質、特にリアリズムに特化し着目したのは、スタニスラフスキーシステムが顕著であろう。

 俳優は、役を演じ、ストーリーを演じる。つまり二度演じるところに、虚構が入り込む。何に対する虚構か?それは、人の生理に対する虚構だ。この生理の反射レベルに演技を掘り下げ、演技におけるリアリティーを高めた演劇技法は、安部システムに結実した。

「トゥルーマンショー」の評価は、今日においても中々定まらない。事実ジャンルも、サイコSFや、サイコスリラーという、実に稚拙な枠に当てはめられれているのだから。

 だが、何をおいても秀逸なのは、虚構という設定をあえて明かすことで、虚構の虚構という構図の中において、一人のリアルな生活者を置くことで、二十虚構におけるリアリズムの喜悲劇を創作したことだ。その、いわばウソがバレにバレている、綱渡りの構図の中で、その綱渡りにリアルを与えているのが何より、ジム・キャリーという奇才の、演技の質によって、であろう。何よりジム・キャリーは、その場に置かれた状況について、その状況を解釈し意味化することを排除し、徹底的に置かれた状況に対する生理反射を忠実に表現した点に、高い価値を見出すことが出来る。意味を伝える演技から状況を生理で捉え演じることで、見てはそのリアルに反射的に生理で、引き込まれる。その映像体験は、圧巻だ。

「俳優の作り物の演技は、いい加減飽き飽き」

「”徹底したリアリティー”それを保ったからだ」

映画という嘘の中で、作り物という嘘を、演じるという嘘で重ねる虚構重ね。

 これらセリフを言わしめる作品としての完成度は、虚構明かしという前提のタイトロープを途切ることなくラストにつなげてこそ、高いものとなる。さて、虚構という嘘に、さらに幾重もの嘘を重ねた結果、見えてきた真実は如何なるものか。さらには、この稀有な作品としての虚構は、リアルという現実に挑戦し、如何なる高みに登ることが出来たのであろうか。

 それは、是非とも貴方に、伺いたい。そして、問いたい、予測可能な現在と、予測不可能な未来と、貴方はどちらを選択したいか、と。

 本作品は、1998年6月5日、パラマウントより配給された。

 

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