29年前になるのかな。1993年10月28日の深夜、子どもが寝入ったのを待って、テレビを付ける。丁度、アジア最終予選は、ロスタイムに突入。スコアは2対1で日本リード。さあ、ワールドカップ初出場!と、思った最中、最後のワンプレーがコーナーキックに。サッとショートコーナーから、ロングボール、ヘディングと流れるようにボールは自陣ゴールへ。正に悪夢の瞬間であるとともに、ドーハがトラウマとして刻まれた瞬間だった。

 1991年末に、Jリーグ発足とともに、野球ファンだった私も、ご多分に漏れず、サッカーファンの仲間入りを果たした。にわかな両刀使いだが。そして、世界のプレーを見るにつけ、サッカーの面白さを肌で感じ、のめり込んでの1993年は、丁度、絶頂期だったと振り返る。そんな時の、予想外の敗戦。

 その後の4年は遠距離恋愛さながらに、とてつもなく長く疲弊したことを思い出す。

 当時の日本代表メンバーは、全員Jリーガー。スポンサードとセットでなく、実力で海外移籍を勝ち取ったのは、2001年オランダ移籍の、小野伸二選手が始めてだそうだ。

 


 それが今やどうだ。海外リーグで活躍する選手が多数を占めている、日本代表。この状況は、他国を見ても顕著だ。世界4大リーグ〜プレミア、ブンデス、リーガ、セリエAの各チームも、多国籍さながら、だ。 

 さて、今回のワールドカップ予選リーグにおけるアップセットの多さと、これまでの列強国〜メキシコ、ベルギー、ドイツ、デンマークの予選敗退について、各国リーグにおける、多国籍化の醸成がもたらした成果ではないかと、うがった見方をしてしまう。

 錚々たる列強諸国が、予選リーグ敗退。そして、大陸間プレーオフにてようやく本戦出場権を勝ち取ったオーストラリアや、アメリカがノックアウトステージへの切符を掴み、何と日本はグループ首位通過。これは、国という括りで選手達を再集合させた時の、実力差の減少の結果に他ならないのではないか。例えば、ムパッペが嫌った、あたりの激しいプレミアに身を投じ、さらに成長した三笘のようなタレントが、世界に躍り出る土壌になっているのではないか、と感じる。三笘薫の一振りは痺れた、お陰でドーハはトラウマから歓喜へと、無事昇華を果たした。


 さてさて、いよいよ、ノックアウトステージ。初戦はかの、クロアチア。個人的にはこの国にも、ヤラレ感満載だ。なにより、1998フランスワールドカップグループリーグ0対1敗戦が、トラウマになっている。

 さあ、さあ、日本代表様。もう一つのトラウマも、是非に払拭してちょーだい。ノックアウトステージだからして、払拭イコール昇華!!

 期待しますよ。


 では、また!