武蔵小金井の母の実家に泊まりに行くときはいつも、楽しみが満載だった。
なかでも大きな楽しみが2つあって、未だに暑い季節になると思い出す。
1つは、台所の軒下の、小さな納戸に必ずやダースで用意されていた、オレンジジュースだ。
プラッシーという名の薄いジュースだったが、これが、汗をかいてたどり着いた後、飛んでいって飲むと、格別に美味い。
挨拶もそこそこに、だだっ広い平屋の和室を突き進み、目的地にたどり着く。
台所は木造りで涼しく、そこで四つん這いになって冷を取ると、おもむろに取手を握りしめ、上にエイと上げる。
ご対面。
そしてカラカラっと細長いビンを一本引っこ抜き、栓抜きであけて、ンゴンゴ飲む。
後ろで祖母が必ず
『息しな息』
と言って、母と笑う声が聞こえたものだった。
お腹をダボダボにして、ようやく落ち着き、堀炬燵に入ると、水分が抜けた頃、蕎麦屋からざる蕎麦が届けられる。
これが2つ目の楽しみ。
更科の喉越しと香り、出汁と返しの旨みが堪らなく、やはりガッツいて、一気に掻き込んだものだった。
自分にとって、懐かしい思い出だが、今にして思い返してみると、いくつかの大切な気付きがあった。
中でも感慨深いものの1つは、プラッシーのダースに、一本の隙間もなかったこと。
そしてもう1つは、祖母は時間によって蕎麦を、食べたり食べなかったりしたことだ。
前段は言わずもがなだ。
後段は、今にしておもえば、より徹底されていた。
食事は、必ず同じ時間にとるよう、心掛ける。
家督だろうが、幼子であろうが、眠かろうが、疲れていようが、忙しかろうが、必ず定時に食卓に皆が集い座る。別に厳しく言われる訳ではないのだが。
今でこそ食事の時間はその日暮らしになってしまったが、三つ子の内に、その生活習慣…食事の時間を定める、必ずその時間に居る者は集う…が刷り込まれ、母もその生活習慣を踏襲したおかげで、現在の自分の健康の礎が造られたのは、間違いがない。
特に朝食は、大体7時過ぎになると毎日、最低ヨーグルトに野菜ジュースから最大定食まで、何かしら同じ時間に、何かしらを口に入れている。
やはり食べないと、内臓が回らず、身体が中から動き出さず、意識も目覚めない。

武蔵小金井の蕎麦屋、更科さんは今はもう無い。
街並みも大分変質をした。
祖母の家も、今はアパートになり、叔母が管理している。
時代の変化は街並みをガラリと変えたが、思えば祖母からは教わった教えは、色褪せず残っている。
百日法要は、泣くのをやめる日。
朝茶はその日の難逃れ。
そして、どんな状況にあっても、心に錦を持つこと。
まだまだ沢山ある。
それらを思い出し、あるいは強化し、祖母のコトバの如く新たな決意を持って明日を迎えるために、蕎麦をすする。
だから僕は、ラーメン屋さんと蕎麦屋さんが並んでいたら、迷わず蕎麦屋に入ってしまう。
さあ、いただきます。





~コトバ使い~渡邊 聡 Official Website

http://www.kotobadukai.com/#