朝も起きれない

幼稚園の送り迎えでさえ辛い


人として

お母さんとして

という部分でしんどい


こんなことでさえ出来ないのか

こんなことで苦労するのか

これいつまでやるのか

いつになったら慣れるの

息子より私が幼稚園というものに慣れない

そんな文言が浮かぶ


部屋だってぐちゃぐちゃだし私物もぐちゃぐちゃ

これじゃ憧れのミニマリストにはなれません

洗濯物も干す時間後回しにしたり

台所もぐちゃぐちゃ

お風呂黒カビすごいし

汚い〜

などなど

自分のことさえできない

私ばっかり

全部できないよ〜

できない

という自分責め


自分の世界は自分で創っているのもわかるし

子供の自由さもわかる

遅刻したところで何か嫌な目に遭うわけでもない

誰も文句は言わない

問題ない


でもでもショボーン

って言うんだよね

 

この状態でいると

自分の感覚なんてわからなくなる

振り回されててるかんじ





私はどうしたいか?

遅刻するかしないかだったらしない方が気分が良いし、洗濯物は息子を幼稚園に送る前に干したい

家の中もスッキリしてた方が落ち着く


焦ってる時は焦りから生まれた行動にしかならない

そんな時は、大丈夫!なんて思えないわけで…

これやっても遅刻しない、大丈夫びっくりマーク

上手く回ると信じるびっくりマーク

後でやる〜が嫌なんだからびっくりマーク

今できた方が気持ちが良いんだびっくりマーク

その部分が自分の感覚


たくさんの出来ない理由を並べて不安を煽られているようになったり自分のどうしたいかがよく分からなくなったら、ちょっとズレてるよってこと


そんな時は立ち止まってみる


焦ってる時はどうしても

なんで周りのママさんたちはあんなに上手く出来てるの?な気持ちにもなる…

(そうみえるだけで…他のママさんたちも色々あるのわかってるけど、自分の都合良くみちゃうんだよね)

だから、私は全然できない、なんで〜

こんなこともできないのかよ〜の

大好きな自分責め

私だけが〜って

素敵だなと思うママ友さんは、働きながら、3人の子育てしてて、化粧もちゃんとしてて家の中も壮絶に綺麗

私化粧もする暇ないし…などなど

自分のないものにフォーカスするやつ

でも自分の内を意識すると…

何があってもどんな状況になろうが、自分がしたいことを形にしてきてる自分

ずっと学んできた

これを今世やりたいと決めてきた自分と向き合って生きること

素直に向き合ってきた

何があっても

どこに行こう私はその瞬間瞬間全力で生きてきた

これからだって自分は自分の行きたい場所にいけるという確信がある


自分の感覚に従うっていうのがわならなかったりするかもしれないけど

一人で向き合っているとどうしても偏ってしまうこともある

道に迷っている人がいたら、本当の自分はどうしたいのか、どう行きたいのか、自分の道なんかさえもよく分からなくなっている人がいたら、こっちじゃないかな、と、伝えられる人でありたい




…つづくうさぎ