おはようございます


ゆうじです


久しぶりの投稿…


いやー朝ドラ

エール面白いね😆



そして興味深いテーマに差し掛かってる


応援で強くなれるのか?


ふむふむ

僕も観ながら

「そもそも早稲田が勝てないのは

もっと他の理由じゃない?」

「応援歌でホントに勝てると思ってるのか?」

なんてちょっとクールに感じている自分もいました

笑笑笑笑


その反面

それを信じ貫き通す熱い人間にも

惹かれる自分もいる


話がズレそうなので💦元に戻すと

僕が気になったフレーズがありました


「所詮人間は感情的な生き物」


喫茶店の奥様が語った言葉です


何かを成し遂げる時

感情が邪魔をする事はよくあります

僕も昔は…っていうか今も(笑)

感情的になって遠回りする事は多々あります


だから自分の中でいつも

「冷静になれ、感情的になるな」

なんて言い聞かせています


でも今思うとそれは人間的であるのだろうか?

感情的であるからこそ人間とするならば

知性や冷静さは

ことを成し遂げる為の戦略であって

人間的な生き方とはまた別問題ではないだろうか?


じゃあことを成し遂げる為に冷静さを失う

応援というものは戦略的にいえば

必要ないのだろうか?


これは二極化される課題では無いと僕は思います


先ずは時と場合によるということ

ホントに応援して欲しい時や

それが力になる時

冷静にならなければいけない時に

応援で冷静さをかいてしまう時


そして人によるということ

もちろん言われる側と言う側の両方


そもそも応援よりも戦略重視の人と

応援で力を発揮する人

大きく分けて2つあるよね


もう1つこの人に応援は力になるけど

あの人の応援はちょっと…っていうものや

応援の仕方にもよる

励まして応援するのか

罵倒して応援するのか

人によって響き方も違うよね


だからこの前のブログで

僕は極力「頑張れ」は言わないって言ったけど

この言葉で力を貰う人は沢山いるし

今は「頑張れ」よりも「よくやった」って

言って欲しい人もいる

もちろん同じ人物でも時と場合によって

この言葉の意味は大きく違う


簡単に言えば

どんな偉人の言葉も

心に響く時は響くし

響かない時はちっとも響かない


それは応援する側には分からない


けどやっぱり人間は感情的な生き物

応援する側はそれが力になると信じて応援するし

される側も応援がモチベーションを

上げてくれる事は間違いない


元々勝ち負け、勝負事というのもやはり

人間的感情から生まれたもの

感情は人を豊かにする為のエネルギー

何事にも切り離せないよね


結論を言えば

応援は必要とか必要ないとかという問題じゃなく

応援する側はしたいのだから

感情的に理性をもって応援すればいい

それを応援をされる側が

都合よくいい所取りして受け取ればいい!


僕はそう思います(笑)

あ〜明日のエールも楽しみ!

今日も笑顔で!