私が最も尊敬する女性アンマがこの夏久々に来日します。



「抱きしめる聖者」アンマ のハグは愛に満ちていて、自分の中の「汚れ」を浮き上がらせてくれました。



前回は4時間くらい待った記憶が。



それでも行く価値のあるダルシャンだと思います。





辛口なスマナサーラ長老の本の中では珍しく好きな本です。


自分はタバコの煙が苦手なので、タバコを吸っている人を見るとイラっとして


「負のカルマ積んでんなボケ!」


「タバコを吸う人間は自分勝手でダメな奴だ!」


みたいなことを思い、ぶん殴りたくなることがよくあるのですが、最近は慈悲の瞑想に習って多少は慈しみというか思いやりを持てるようになり始めました。


自他の健康を害するという点で褒められた行為ではないですし、人のいない所で吸えとは思いますが、なんとなく心境に変化がありました。


まあ思考レベルで道徳的に意識しても、どれだけ意義があるのかわかりませんし、何も考えず、無心であるがままに見ればいいのか、慈悲の瞑想のように願うのがいいのか、ぶん殴ることも慈悲なのかどうなんでしょうね。


身口意を整える点では慈悲の瞑想は効果があるのかもしれません。


最終的には悟りから現れる自然な慈悲がものを言うのだと思いますが、ブッダならどう答えるかとても興味があります。

最近は「ふじわらゆう」さんの動画をよく見ています。



振り返ればスピリチュアルに長居したなあと思います。



スピリチュアルも役に立つと思いますが、そこだけに止まるのは途中下車のようなもの。



今でこそ非二元ノンデュアリティ系の動画はたくさんありますが、昔はほとんど無かった。



大和田菜穂さんを阿部敏郎さんが紹介してから増えていったように感じます。



非二元ノンデュアリティ系が本当の悟りなのかはわかりませんが、真理探究・探求の終わりには役に立ちそうな気もします。