新生FF14は一週間ぶりに再開して、相方さんとプアメイド何とかってとこで楽しくやってます。
色々と書きたい事もありますが、それはその内に。
音鳴りさん
音鳴りさん(2)
の続きです。
音鳴りさん(3)
時は経ち十数年後、僕は大人になって東京で働いていた。久々にまとまった休暇がとれ、実家に帰省しようと、懐かしいこの街の駅に降り立った。
途中、商店街に立ち寄ると、小さな本屋の脇に置かれた古びた自転車に目が行った。僕はどこかで見た様なその自転車が、すぐにあの女の人のものだと言う事に気が付いた。今までも同じ形の自転車はたまに見る事はあったのだけど、この自転車はあの自転車だと僕は確信した。
女の人の自転車は青い色だったけど、これは黒い色に塗りなおされている。近くに寄って眺めると、大きく感じた荷台は、大人になった僕にとって大きくはなくなっていた。
すぐに本屋に入ると、僕は黒い自転車の事を聞いてみた。もしかしたらここがあの女の人の家かもしれない。もしそうならもう一度会いたい。そんな想いが浮かんでいた。
本屋の主人は読んでいた本を畳み、老眼鏡を外して机の上に置くと僕の質問に答えてくれた。
あの自転車は、十年以上昔に川に捨てられていたものを見つけて直したのだそうだ。塗装は酷く痛んでいた為黒く塗りなおした。そして、元の色は青だったらしい。
やはり間違いじゃなかった。僕は新しい自転車と交換で、自転車を譲ってくれる様頼んだ。主人は酷く困惑していたが、昔の想い出を語りつつ頼み続けた為、根気負けしたのか譲ってくれると言ってくれた。
今は年で自転車には乗れないからと無料で譲ってくれると言ったが、それでは余りにも虫のいい話になってしまう為、店の奥のガラスケースに入った街の歴史が書かれている本を買わせてもらった。結構な値段のする立派な本だったけど、この街についてあえて勉強した事もなかったし、いい機会にはなるだろう。
懐かしい自転車に乗って、街を走ってみるとあの頃を思い出す。僕はあの頃よく通っていた川岸を走っていた。昔に比べると道も川の土手も綺麗になり、柵まで出来て当時の面影は薄らいではいるけど、あの頃を思い出すには十分だ。
これで後はあの音さえしてくれればと思うが、今のこの自転車からは、油が切れた様なキィキィとした音だけが発せられるだけだった。
川にかかった小さな橋を渡り、そのまま真っ直ぐ進んで実家へたどり着いた。川と家は思っていたよりずっと近い。あの頃はずいぶんと遠く感じていたけど、それは体が小さかったからなのだろうな。
居間で寛いで母と昔の事を話す内、何故か音鳴りさんの話になった。音鳴りさんか……、僕が小さかった頃はとても怖かったっけ。
僕が昔聞いていた音鳴りさんの話は、完全におばけ話だったのだけど、どうやらもっとちゃんとした話があるのだそうだ。
それも想像よりもずっと最近の話で、第二次世界大戦の最中にその話は誕生したのだと言う。それは、かつてこの街に住んでいた、ある姉と弟の絆の物語だった。
戦争中、余り栄えていなかったこの街は、殆ど空襲を受ける事も無かったが、当時は今と違う場所に商店街があって、そこの近くに2つ爆弾が投下されたのだった。
その日、その姉と弟はちょっとした事で喧嘩をし、家を飛び出してた弟はその付近に居た。そして、運悪くその爆弾の被害に遭ってしまった。
弟の遺体は、子供としかわからない程に焼け焦げていて、その遺体の側で姉は呆然と立ち尽くしていた。
姉はその遺体を弟と認めようとはせず、今もどこかに隠れてお腹を空かして居るのではないかと、青い自転車で町中を探しまくっていた時期があったそうだ。
しかしそれから間もなくB29爆撃機が火を噴いて民家に墜落すると言う事故が起こる。事もあろうか、そのB29が墜落した民家は、亡くなった弟の姉の住む家だったのだ。民家は押しつぶされる形で全壊して炎上。かなり広範囲の火事になった。その事故で姉とその母親は帰らぬ人となったが、B29爆撃機の乗組員の内数人は奇跡的に生存していてそのまま捕虜になった。
事はその時からはじまったのだった。自転車に乗って弟を探す学生服姿の姉の姿を、この街のあちこちで目撃したと言う話がされる様になった。古びた自転車からは薄気味悪い音が鳴り響いていて、その音と共に現れる事から「音鳴りさん」と呼ばれる様になった。
気味悪がった町の人々は、姉の魂を鎮める為に近くの寺に小さなお堂を建てた。それ以降、自転車に乗った姉の姿を見る者はなくなったそうだ。
でもってまだ続くます。
(o´・∀・`o)<でわなたっ