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「0.5ミリ」スバル座メモリアル上映最終日にて。


今になってこんなこと書きますが、


私が居て許される場所だったんですよ。


高校生の私が。


スバル座で映画が見られるという広告を見て

下校途中の有楽町にあるスバル座横のカフェで

バイトをして

沢山の名画を見て、時間を潰しました。


私にとって映画館というのは

自分の部屋みたいなものでした。


こんなこと、言っていいか分かりませんが

裕福ではなかったから

子供部屋も無いし

父親はとんでもなく厳しいし

帰りたくないし

お小遣い渡せないから

バイトをしていい、と言われ

バイト三昧の高校時代でした。


バイトが早く終わる日、バイトがない日は映画館。


だからスバル座は

毎週必ずくつろぐ居場所。


大学も行けなかったし

家族の為に

とにかく働かなきゃいけなかったから

すぐに就職したのだけど

そこに居た先輩が試写会マニアで

残業の無い日は、よく同行させてくれたのも運命。


一年半でOLを辞め、やがて

ただの映画ヲタクが映画紹介の番組を持て

映画界で司会の仕事をもらい

このスバル座で司会する最初の日

スバル座の支配人である足立さんに

今は無い隣のカフェバイトをしていたことや

そのお陰でスバル座で沢山映画を

見させてもらったことを伝えると

とても喜んでくれ

会うたびに、映画配給会社の人達に

その話をしてくれたのですよ。

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「エヴェレスト 神々の山巓」スバル座メモリアル上映にて


沢山の映画との出会い

沢山の映画人との出会い

沢山の映画館との出会い


映画の司会という仕事も出来たことが

映画製作者や映画宣伝部

映画興行主の人達との出会いに繋がり

映画を作り、宣伝し、上映するという

一連の流れを深く教えてもらう結果になりました。


洋画と邦画では

関わり方もまた少し違うのも分かり

仕事にしていくうちに

映画を好き、以上に、映画を作る人も好き、に

バージョンアップして参りまして。


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「教誨師」スバル座メモリアル上映にて


小学生の私も、中学生の私も

高校生の私も

間違いなく、映画にすがって生きてきて

今とは想像出来ないくらい

目立つことも好きでは無く

人付き合いも好きでは無く

会話も上手く無く

とにかく

好きな映画と洋楽だけで世界は回っていて良い

と思っていた人でした。


グループ活動もヘタレ。


何故、今の私が誕生したのかも分からない。


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「道 白磁の人」スバル座メモリアル上映にて


ただ思い当たるのは

淀川長治さんのテレビでの映画解説のマネばかりしていたこと

あとは

どうせ一度きりの人生なら

自分で稼ぐ人生なら

好きなことで生きていきたい

映画という仕事しかしたくない

そう、当時、思っていたこと。


映画の力ってスゴイ。


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「二宮金次郎」スバル座メモリアルプレ上映にて


そして映画館ってスゴイ。


人の人生をこうまで動かしてくれるんですよ。


しかもね

スバル座には

映画愛が沢山詰まっていたから

何度も何度も通い続け

居心地の良さも抜群で

洋画から邦画まで

心にダイレクトに届く映画ばかり上映していたから。


53年の歴史を閉じるスバル座で

「0、5ミリ」上映後の

安藤桃子監督や安藤サクラちゃんが

涙を流したのも

劇場との別れや、初日舞台挨拶の思い出や

なによりこの映画作りへの強い思い入れと

共演した津川雅彦さん達との日々も

あったのかもしれない。


もう、もらい泣きしてしまった。


しかも、今、観るとまた違う観点で感情がブルブル震えていたのです。


このスバル座メモリアルで司会のお手伝いを

することになって

スバル座で映画を一度観た作品を

見直したりしていたら

支配人、足立さんの作品選びこそ

映画人への愛の塊なんだと気付かされました。


大好きでした、スバル座。


育ててくれてありがとう。


そして、居ていいよと言わんばかりに

時間を忘れさせてくれ

癒してくれた映画館の存在は

偉大でした。


ありがとうございました。