ここ数日
クリエイターの方々のお話を長く
ディープに聞く機会が多く
改めてハッとさせられることがあったんですよ。
あるYouTubeクリエイターさんが
ハリウッド監督になれるにはどうしたらいいか?
「アリータ:バトル・エンジェル」で来日していた
ロバート・ロドリゲス監督に尋ねた時のこと。
「ハリウッドの映画監督になんか、
なって欲しくない。
ぼくもなりたくない。
ハリウッド映画の監督になろうと思うんじゃなくて
僕は僕の庭で、僕が作りたいと思う作品を
作ってきたし
ジェームズ・キャメロンもそうやってきてるよ」
なんと素晴らしい!
"何かになりたい!"
って思いは大事だけれど
"届けたい思い"
がなきゃ誰の心にも届かない。
で、次の日
「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」
大森立嗣監督と原作の宮川サトシさんとの
1時間に渡るどっぷりトークショーのMCを。
宮川さんはこんなことを言ってたのですよ。
「書き続けること
最後まで書き終わらせることが大事」
大森立嗣監督で印象に残ってるのは
「若松孝二監督とか、俺の師匠の荒戸源次郎監督とか
独立系プロダクションの動きって憧れる。
大きな力に囚われず
自分の描きたいことをしっかり伝える力」
そーなんだよな
といま一度、我に返った!
ハリウッドがスゴイとか
(たしかにスゴイけど)
テレビがスゴイとか
(たしかに大衆に知られるけど)
大きなメディアがスゴイとか
(広められる力があるのはスゴイけど)
そこに固執する意味ってなんなんだ?
良いもの全てが、メジャーなのか?
メジャーだったらエライのか?
いやいや
ちゃーんと調べれば
良いものは色んなところにあるんだよ。
良いものとは
自分が伝えたいコトをしっかり持っている人
なんじゃなかろうか?
その軸がしっかりしていて
思いに溢れていたら
誰かの心に届くんじゃなかろうか?
ずっと見ていたい作品、見ていたい人って
そんな強い想いを持っている人なんじゃ
ないかなぁ。
そう、チャリティおばちゃんは思うのだけどな。
「グレイテスト・ショーマン」応援上映MCにて。