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やんちゃ娘を連れての

出雲と松江のマイナスイオンと

地元の人たちの優しさいっぱいに触れた

家族旅行から一昨日帰還し

まだまだお休みモードが抜けない

わたしくでございますよ。


昨日のこと

コンビニの店員のおばさまの手に

おっぱいが接触し

「あっ、触ってしまって、申し訳ありません」

と謝られ

「いやいや、いくらでも」

と答えたことに

いくらでもはないだろ!

と心の中で自分にツッコミ入れておりました(笑)


で、今日

電車の中で

サラリーマンさんの腕に胸が当たり

「oh! sorry」

と言われ、

「no problem」

と笑いながら電車を降り

おっぱい接触事故2連発(笑)


(決して大きくない、むしろ子供に吸われて

小さくなったわい!)


そもそもおっぱいに自信があるわけでも

死守したいわけでもないのだけれど

映画の中で女性の美しいおっぱいを見ると

おお!いいなーって思う。


これが不思議なもので

男性陣の裸体より

女性陣の裸体に釘付けになるんだから!


今公開中の瀬々敬久監督の

「菊とギロチン」なんかも

女相撲に男性客が

「おっぱいポロリがあるかもしれんぞ!」

と浮かれるシーンなんか

男女関係なく当時思っていた人々は

きっと居たんじゃないか?


キレイなものは見たい。


しかもそれは大きいとかの問題じゃなくて

顔と一緒で

個性的なほうが美しいと思ってしまう。


私は女優になりたいと思ったこともなく

裸を見せたいと思ったこともないけれど

映画の中に自然と裸体があることは

人間を描く中ではナチュラルなことでしょうよ!

って思うたち。


そこにわざと見えないようなカメラワークや

布が不自然に纏わり付いていると

逆に気になってしょうがなくなるもの(苦笑)


最近の試写で

堂々と人の性への執着やら

愛の尺度やらを

性vs言語と、愛vs愛着で、

男女の感情をこれでもかってくらい描いていて

頭から離れないのが

吉田恵輔監督の新作「愛しのアイリーン」

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おっぱいのひとつやふたつ

そんなの当たり前のことさ

っていう

普段の生活においての人間の営み

って感覚が何故か新鮮だったのは

それだけ

多くの映画で隠していることが通常だからか?


女優さんのCM契約の都合に合わせているのか?


皆、興味が無くなっちゃったからなのか?


そもそもそのシーンが必要ない映画が

増えたから?なのかもしれないな。


とにかく多様性あって映画は楽しいじゃない?


出雲の温泉にも

おばあちゃんから小さい子まで

色んな姿があって

それはそれは、楽しかったもんなー(^^)