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こんな大それた

タイトルを付けたのには

思うことがあり。


私の仕事は

日本で公開される映画を応援するというもの。


それは外国映画しかり、もちろん日本映画しかり。


その作品を作った監督、俳優、スタッフ

宣伝するスタッフと語り

最後の応援として

舞台挨拶や記者会見の司会をしたり

作品自体を紹介したり。


色んな映画で色んな監督や俳優と会い

語らう中

どれだけ

今、自由に映画を作るのが困難で

あるかが切実に見えてくる。


キャスティングされた

俳優陣のスケジュールやら

制作費やら

撮影期間に制限があったり

撮影シーン自体に制限があったりする中

良いものを作ろうと

奮闘して作った結果

公開出来ない可能性が出て来たり

そこからなんとか劇場公開が叶うものなど

よく話しを聞く。


だけど

不平不満ばかり言ってられない。


だって

日本に生まれて

日本で映画を撮る、演じる、

って決めたのだから

そこで戦い、良いものを作るのが

自分たちの役目だと歯をくいしばる

人たちの言葉も聞いてきた。


そんな世界でどうやって

悔いなくやり遂げるのか?


私は今日観た

「エルネスト もう一人のゲバラ」

に、答えを見出した気がしてね。


映画評をここに記す気はなく

感情的なことを書くつもりです。


私が興味を持った点。


そもそも

チェ・ゲバラについては

「モーターサイクル・ダイアリーズ」や

「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」

という感じで映画で知ってるつもりになってた。


そんな、よく知られる

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラと共に

自由の為に闘った日系人が実在したって?



この企画は4年くらい前から

阪本順治監督が温めてて

阪本監督と仲良しの

オダギリジョー主演とな?


ついでに

言うと

革命家って、そもそもどんな人たちがそうなっていくの?


という興味と疑問だったわけです。


主人公は

フレディ前村ウルタード。


彼は、医師になるために

キューバ大学で医学を学んでいる頃に

故郷である

ボリビアで軍事クーデターが起こり

不平等と貧困問題を根絶しようと

ボリビア軍事政権を倒すべく

ゲバラたちゲリラ部隊に参加する。

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小さい頃から

弱き者を助けようと

貧乏な友達の元を訪れたり

人助けをしたいと医師を目指し

ほのかな恋愛においても

その優しさは滲み出てくるくらい。


映画にえらく泣かされたのは

フレディ前村という

青年の純粋な優しさに魅了され

彼の一挙手一投足に目が離せなくなり

ひとりの青年の悔いなき生き様に

激しく心を動かされたから。


話しを元に戻すと

阪本順治監督と試写の後少し話してね。

「ヒットとか考えない映画を作ったんだよ。

飲んでる時、オダギリくんが

何かもっと刺激のある役を欲していて

この役なら間違いなく彼は挑むと思ったし

案の定、スペイン語も役作りも

全て素晴らしかったから」


ここまで

じっくりとひとつの役に挑め

海外ロケをし

時間を費やし、映画を作る。


今の日本では

なかなかやれないことをやり遂げるには

その分の時間で何か良い仕事が来ようとも

やれないという腹の括り方と

それ以上に期待に応える作品にしなければと

覚悟を決めて挑む勇気がいるわけで。


そもそも

この映画製作に賛同してもらえるには

監督や役者の実力が知られていなければ

映画製作における制作費だって集まらない。


共に船を作り、挑戦しようと決めたスタッフや

製作陣だって彼らの力を信じたから。



映画「エルネスト」で一番心に響いたのは

「私はこう思う」とフレディの友人たちが

口にする言葉の始まり方。


これは

映画の冒頭

広島の記念公園にある記念碑

「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬか
ら」

という言葉を見たゲバラが

「なぜ、主語がないんだ?」

という言葉の意味を後にキューバ大学の仲間たちが

体現しているわけで。


この記念碑が意味することは

さだかではないけれど

心理カウンセリングを学んだ時

主語の話しが出たことがある。


「私はこう思うんだけれど、......」

「もし私だったら、......すると思う」


これは

あくまでも私一個人の意見であり

あなたに〇〇すべきと言っているわけではない。


「私は」と付けるだけで、個人の意見になるので

相手に対して、相手の意思も尊重した上での

アドバイスになるというもの。


「私」=自分がその言葉に責任を持って発言するということ。


もしかしたら

日本って昔から

いや、うちの父世代から上の過半数以上が

女性は特に

出しゃばらず慎ましやかに生きるのが美徳。

とされていた気がする。


私は見事にそれで制圧され(笑)


「なんで?と聞くな、ハイでいいんだ」

「お前はよく喋る、もう少し黙れないのか」

とよく言われ、反乱した結果、今の私がここにいる(笑)


自分の言葉に責任を持ち

自分の意見だと人前で言えることは素晴らしい。


志しを持つ、ってとてもカッコイイ。


それこそ

自分らしく生きるということじゃないか?


私はこう思う。


阪本順治監督は

もしかしたら

自分は、人にどう見られようと

自分が魅了されたものの力を信じ

分かりやすくヒットするか否かに左右されず

それを撮り映画を作り続ける

と思っているのでは。


これはあくまでも私の意見だけれど

きっと私自身が

そんな風に

私がイイと思う仕事に向かって

私がイイと思う女性像に向かって

生きていこうと思っているから

そう感じたのかもしれない。


人のどんな感情の波が来ようとも

「自分が好きなことを信じて」

ブレずにいれば

きっと悔いなく人生送っていける。