振り返ると

毎回、舞台挨拶の本番前にキャスト皆と監督と一度、台本をもんで挑むのが恒例だった

映画「怒り」。


突っ込まれる宣伝プロデューサーが愛されているのも

喋り口調ですぐ分かる。


だから、私も、本番直前に、台本の流れを頭の中に入れ直す。


それだけ

キャストが舞台挨拶というイベントひとつにも真剣なのって

この映画「怒り」を愛しているから。


松山ケンイチさんが言っていた

「こんなに凄い人達と仕事が出来て、誇りに思う」


その時だれもがうなづいていて

その映画の代表選手のような気分でそこに立っているから

発する言葉、ひとつひとつがまとまりはなくても奥深く、しっかり伝わるものになっていた。


心の中を覗きながら言葉を探すってきっとそういうことだと思う。


伝わりづらそうで、しっかり伝わる。


「さとりさんもこんな凄いメンバーをまとめるんだからすごいね」


裏で色んなマネージャーやスタッフに言われ

ああ、そうなんだ、と実感が湧き始め。


とにかく

「怒り」という映画に関われて幸せだった。


それは宮﨑あおいちゃんも言っていたけれど

それだけ、人を惹きつける映画であり、原作や映画を作りあげた人達が皆

魅力的だから、映画が魅力溢れるものになっていた。


この映画は

決して気持ちの良い映画ではない。


けれど見心地が悪いのとはまったく違う。


殺害直後のシーンから始まり

一気に観客を事件へと引きずり込む。


刑事の視点で見始めるかと思いきや

気がつくと

東京に現れた前歴不詳の男を愛し始めた男の視点になっている。


物語は、東京から沖縄、千葉へと、場所と登場人物を変え

交わるかと思いきや、交わることなく、どんどん進んでいく。


普段なら、この設定だと観客の気持ちが消化不良で、薄っぺらい映画になりそうなところを

見事に「怒り」という映画は、裏切ってくれる。


観客が、まるで幽霊のように

次から次へと犯人と疑わしき男達に恋した、出会った人々に憑依して

まさにそこに居る感覚になる。


愛した男が犯人に似ている。


過去を口にしたがらない彼。


私だけは、彼の味方であり、彼は違う、と言いたい、信じたいのに

どこかで疑ってしまう苦しさが、畝りながら襲ってくる感覚を持つ作品。


写真の李相日監督は

演出の際、役者に

この役はこんな気持ちだから、こう演じて欲しい

と言わずに

「この時、彼(彼女)はどう思っているんでしょうね?」

と役者に問いかけ続けるそう。


だから

広瀬すずちゃんも役に入り込み過ぎ

誰にも触られたくない感覚に襲われたんだと思う。


役者を信じ、役になりきるまで待つ監督。


その絶対的な信頼が関わった全ての人を動かし、傑作が生まれる。


私にはそう思えてならない。