「私は多くを望まない。ただ全てが欲しいだけ」


そう言ったのは、マリリン・モンローではなく、イングリッド・バーグマン。


「頭のイイ女の子はキスはするけど愛さない」


こう言ったのは、イングリッド・バーグマンではなく、マリリン・モンロー。


とても面白い。



8/27に公開される

バーグマン生誕100周年記念ドキュメンタリー

「イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優」

を観た。


彼女が親友に宛てた手紙や、膨大なプライベート映像、インタビュー、そして彼女の子供たちのインタビューで綴られていく。


私にとっては

「君の瞳に乾杯」という名セリフで、すっかり母がハンフリー・ボガードにヤラレていたのを

幼い頃に散々聞かされていた横顔の美しい女優。


「誰が為に鐘はなる」


戦火の中で出逢い、激しく惹かれ合いながらも、動乱の世で引き裂かれる恋人たちに涙をした。


そんな聖女のイメージの強い女優。


そんなイメージとは裏腹に

彼女は自由を愛しながら3度の結婚を。


21歳で歯科医。


不倫の果て大スキャンダルの中、ロベルト・ロッセリーニ監督と。


そしてその後、演劇プロモーターと。


4人の子の母でもある女優。


演じることが好きで好きで

母と女優を両立させながら

本能のおもむくまま

仕事を愛し、人を愛することも臆さずに突き進み

結婚し、子供が居ながら

仕事先で出会ってしまった男性を愛し、恋に落ちていったイングリッド・バーグマン。



その正反対な人生を歩んだのが

マリリン・モンローといえる。



数年前に公開された

マリリン・モンローのドキュメンタリー

「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」


彼女が残した日記と、当時の映像で綴らられる。


ハリウッドを代表するセックスシンボルと言われ

3度の結婚。


16歳で整備工と結婚。


女優になってからは、ヤンキースのジョー・ディマジオ。


続いて劇作家アーサー・ミラー。


15歳で子供を産んでいたという噂はあるものの、その後、何度も中絶、流産などの経験から子供が出来ない身体に。


ご存知、ジョン・F・ケネディ大統領や弟のロバート・ケネディとも肉体関係があったと言われている。


一見、華やかな恋愛遍歴を持つマリリン・モンロー。



「ナイアガラ」でのヒールの片方を削り、お尻を振るセクシーな歩き方が

モンローウォークと言われ話題に。


「七年目の浮気」でスカートがめくれ上がるシーンはあまりにも有名。


後半は精神的に不安定な日々が増え、撮影に遅刻したりも頻繁に。


36歳の若さで、たったひとりで

ベッドの上でこの世を去ったミューズの死は、自殺か他殺か?


未だベールに包まれている。



マリリン・モンローに関する本を片っ端から読んでみると彼女の中に見えてくる

愛に飢えている怯えた小さな女の子。


母親は精神病を患っていたことから、幼くして転々と暮らし、父親を知らず、しかも里子先の10歳で性的虐待を受けた彼女。


冒頭の言葉が伝えるのは、愛して捨てられるリスクより、愛されることのほうが離れられないのでは?

という彼女なりの考えだったのかも。


そして、いつの間にか、ノーマ・ジーンは消え、世界中が愛し求めるマリリン・モンローに喰われてしまったのかもしれない。



一方のイングリッド・バーグマン。


幼くして母親を亡くし、その後、最愛の父親を若くして亡くし、愛する人の早過ぎる死を実感し過ぎた少女。


人生を謳歌しなければ。


早い段階で気付いた彼女は、愛するものを手に入れたいという素直な感情のままに生きた人。


それは

女優という仕事においても同じで

冒頭の言葉通り

自分に与えられたチャンスは全てトライするという

自分の信念に忠実な歩み方をした女性だったわけで。


本来の自分の才能を活かす生き方としては、これほどシンプルなお手本は居ないと思えるほど。


とても動物的。


晩年の彼女の姿は、更に活き活きとしていて、逞しくも見え。



愛されることが幸せと思ったマリリン・モンロー。


愛することが幸せと思ったイングリッド・バーグマン。


愛され方も、愛し方も、人それぞれ。


この2人の女優の対照的な生き方に

自分が女として生まれ

母や父がどう接していたのか。


さらには

自分が母になった今、娘とどう接していきたいか?


そんなことまでバーグマンのドキュメンタリーから

考えが増幅していったのは、意外で面白い発見だった。