もう桜は葉っぱだけになったけれど

今日ほど桜を見たいと思ったことはないかもしれない。


熊本には

知り合いも居ないけれど

「GANTZ」の舞台挨拶で大分へ行くのにバスで通ったのが最後だったっけ。


あの時

その前に東日本大震災があって

仙台で舞台挨拶を行った最初があの映画でもあり。


自然災害の前では映画は無力なのかも、と思った後

ああやって舞台で会いに行き

大好きな俳優たちの姿に笑顔を見せる人々を目の前で見て

夢を与える仕事。

それはとても大切で無くしてはいけない仕事。


と、自分の立ち位置にも気付いた。


今日

熊本や九州での地震が続く中

熊本出身の高良健吾くんが立つ

「蜜のあわれ」

大ヒット舞台挨拶の仕事で。


大杉蓮さんや石井岳龍監督、そして高良健吾くんと本番前に控え室で

熊本の状況や今、出来ること、これから出来ることを話していたのでした。


大杉蓮さんが、朝、高良健吾くんに電話して  

「君が舞台挨拶に立てないというならそれでもいいよ」

と話したそうで

高良健吾くんは舞台挨拶でも口にしていたけれど

「舞台挨拶をやらないという選択は無かったし、ここで出来ることがあるから」

という言葉に

私自身、胸を打たれ。


しっかり

大杉さんと高良くんの共演シーンでの話しを座談会のように監督を交えして

舞台挨拶の最後に

大杉さんと高良くんから突然こんな発表が。

「お客さんに写真を撮ってもらい、熊本のことを気にかけてもらえたら」


全てが終わり、控え室に戻ると大杉蓮さんが私にこう言いました。


「それぞれが質問に答えるという一問一答じゃない、皆で話す舞台挨拶っていいね」


大杉蓮さんが舞台上で高良くんのことを例えた

「喋りは上手じゃないけれど、彼はなんとか思いを伝えようと心で話す人」


のような今日は舞台挨拶だった。


大杉蓮さんも石井岳龍監督も。



飾らずにハートのまま話す。


良く見られたいとか、傷付けられたくないとか、変な風に思われたくないとか

色んな思いが交差して

実はとても難しいことだけれど、なるべくハートの声に忠実に言葉に出来たら

そう思うようになったのは、多分、きっと東日本大震災後の舞台挨拶で

台本にないお悔やみの言葉を発する機会を何度も与えられた時からだと思う。


そして

守るべきものが出来た時に、どんな嫌なことがあっても

しっかりハートで考えて、相手の気持ちもなるべく考えて

想いを受け止めて、自分に正直に嘘をつく人にはなりたくないと改めて思えたからだと思う。


不謹慎なんて言葉はキライ。


立場は、人それぞれ。


今出来ること、も人それぞれ。


とにかく

しっかり

誰かの悲しみや恐怖をハートで感じて

少しでも不安が取り除ける、安心出来るよう祈るだけでも

「何かをしてる」

と私は思うのです。