2014052217060000.jpg

仙台へは、映画絡みでの震災後の復興でしか

行ってないんです。


震災後初の映画舞台挨拶になった

あの年の5月、キャスト、監督、スタッフと行った

『GANTZ』二作目の日。


崩壊した湾岸の道路、平原と化した町を車で

皆で通ってから宮城県名取市の崩れかけた

ショッピングモール内の映画館で沢山の笑顔と涙に

迎えられた日。


それから伊坂幸太郎氏の作品を映画化してきて

仙台へ熱い想いを持つ中村義洋監督が

震災後初の仙台ロケで映画を撮るというので

『ポテチ』撮影現場である仙台駅近くのマンションへ

自分のコラム連載をしている雑誌「シネマスクエア」

として遊びに行って写真も撮った日。


去年は、スターウォーズのコスチューム団体

501部隊が石巻で復興イベントをすると聞いて

MCでボランティア参加させてもらった日。


そして今日もそんな気持ちで仙台駅へ

ひとり降り立ちました。


image0134.jpg

監督と俳優の皆が行けない代わりに

仙台の映画館で『ぼくたちの家族』報知新聞試写会

トークゲストとして立ったんです。


image0133.jpg

監督とキャスト皆から預かったサイン寄書きと

皆からの作品への想いを届けて来た。


そして、震災後、最初に舞台挨拶で

宮城県名取市に監督とキャストと行った

『GANTZ PA』話しには拍手が湧き上がってね。


去年は石巻へ

スターウォーズなコスチューム団体501部隊が

復興イベントをするからと聞いて、MCとして

一緒に参加させてもらっている

と話すと身を乗り出して聞いてくれ。


image0132.jpg

明日、スポーツ報知東北版に掲載される写真。


そこには仙台の皆さんが手を振って参加してくれて。


映画を通して、誰かの想いを届けるお手伝い。


なんてかっこいい言い方だけど

今日は、映画の仕事を通して出会って体験した

沢山の映画からの感謝と共に

私の想いと感謝を届けることが出来た。


ありがとう、皆。


しかもね

スポーツ報知のスポーツ記者を若い頃にやっていた

と亡くなった父に小さい頃よく聞かされ

誰かの言葉を伝える仕事を身近に感じていたから

今の仕事に必然的にたどり着いていて

『ぼくたちの家族』という映画は

自分が家族についてどう想い、接してきたかに

深く気付く作品で。


東日本大震災の日。


東京でひとり暮らしをしている中で

母もひとり暮らしで、姉夫婦も別で暮らしていて

繋がることの絶大な安心感と

家族の大切さに気付いたり、今の仕事の大きさや

誰かと支え合って生きることの意味に

やっと気付いた体験だったから。


ちょっと暑苦しいくらいの感慨深い今夜デス。