ただいま。
私がどうやって映画パーソナリティになったか?
この質問に答えているブログのアドレス
見つけ出したので載せますね。
http://ameblo.jp/satori-ito/entry-10549536479.html
http://ameblo.jp/satori-ito/entry-10329369804.html
でね、まだ言えませんが7月に新たにレギュラーも増えるので
そのタイミングで公式HPに私の履歴をアップしようかと思い
書いてみました。
箇条書きで、ぬくもりのない書き方で、ご免なさいっっ。
(私の履歴書というかなんというか)
1971年、東京都大田区生まれの次女。
小さい頃から空想と動物が好きで、お絵書き帳を毎日一冊書き終えるくらい絵を書き、物語を考えて絵本を作っていた。
小学校で得意だったのは美術と作文。唯一、学校代表で賞を受賞したのが感想文。
小学生の頃にTVで見た『スター・ウォーズ』、大林宣彦監督の『転校生』から映画に魅せられ、「スクリーン」や「ロードショー」を中学1年生の時から買い続けていた。特に淀川長治先生の「日曜洋画劇場」の前説を見て、「映画を見たいと思わせる紹介」を仕事にしたいと幼い頃に思ったのが始まり。以来、お小遣いやバイト代を映画に費やす。
家庭の事情により高卒でタイヤメーカーに入り1年で退社。喋る仕事をしたいという思いからイベントのナレーターコンパニオンへ転職。
その時、『あなたが寝てる間に』試写会の司会をして映画関係者と出会い、映画番組の作り方を聞く。アドバイスをもとに企画書を持って神奈川のケーブルテレビ「YOU TV」へ売り込みに行き、メインパーソナリティとレポーターをやることが条件で映画コーナーを持ったのが22歳。
その縁がきっかけで、映画イベントの司会を頼まれ、口コミで多くの映画会社から司会の仕事が来るようになる。
舞台挨拶や記者会見の司会ぶりを見ていたTV局やラジオ局、雑誌社から仕事が来るようになり、TSUTAYA店内ラジオ「WAVE-C3」のスタート時からDJを担当、映画紹介の原稿は本人が今も書いている。
各映画会社の推薦でTBS『ワンダフル』の映画コメンテーターとしてコーナーを持った後、TX『キネマ地球座』やTX『トーキョーF』(映画コーナー)TBS『2時ピタ!』(映画コーナー)などで顔出しをしながらコーナーの構成も担当。映画TV特番のナビゲーターやナレーターも務めている。
洋画、邦画の記者会見や舞台挨拶の司会を毎週しながら、映画祭では日本映画プロフェッショナル大賞、東京国際映画祭、したまちコメディ映画祭などの司会もしている。
小説『返信~TAMA.瞳の中の記憶』を講談社から出版。
聞き方上手になる本「2分で距離を縮める魔術~人に好かれる秘密のテク」をワニブックスより発売。
一時、ホリプロと番組出演などのマネジメントとして業務提携し、映画パーソナリティとして個人事務所でやっていくことで昨年(2009年)解約。
以後、個人事務所「伊藤さとり事務所」で活動中。
こんな感じかなぁ。
19歳からのナレーターコンパニオン時代に
フリーでも仕事をしていい事務所に入っていたのが
最初の喋りの仕事を広げるきっかけ。
ステージで喋っていると代理店の方などから名刺を頂き
連絡先を聞かれて、TVやラジオで仕事が来るようになったし。
だから映画の道が開けたのはフリーで仕事をしていた時に
出逢った人、見つけ出してくれた人との縁が一番です。
それだから、全ての「映画配給会社」が特に私の恩人です。
だから「映画配給会社」さんとの仕事ではマネージャーを通さず
皆と話し合いながら、仕事をしやすくイベントを成功させたい。
大切に大切にひとつとつ全力投球。
私を選んでくれたことに感謝をしながら
映画を愛で包むことぐらいしか出来ないけれど。
映画配給会社に売り込むことなんて恐れ多くて未だに出来ない。
色んなことありますが、不安じゃないとは言えないけれど
悲しいことも残念なことも「好き」だから仕方ないし
これも運命、いいかなって思ってるんですよ (*^o^*)
私がどうやって映画パーソナリティになったか?
この質問に答えているブログのアドレス
見つけ出したので載せますね。
http://ameblo.jp/satori-ito/entry-10549536479.html
http://ameblo.jp/satori-ito/entry-10329369804.html
でね、まだ言えませんが7月に新たにレギュラーも増えるので
そのタイミングで公式HPに私の履歴をアップしようかと思い
書いてみました。
箇条書きで、ぬくもりのない書き方で、ご免なさいっっ。
(私の履歴書というかなんというか)
1971年、東京都大田区生まれの次女。
小さい頃から空想と動物が好きで、お絵書き帳を毎日一冊書き終えるくらい絵を書き、物語を考えて絵本を作っていた。
小学校で得意だったのは美術と作文。唯一、学校代表で賞を受賞したのが感想文。
小学生の頃にTVで見た『スター・ウォーズ』、大林宣彦監督の『転校生』から映画に魅せられ、「スクリーン」や「ロードショー」を中学1年生の時から買い続けていた。特に淀川長治先生の「日曜洋画劇場」の前説を見て、「映画を見たいと思わせる紹介」を仕事にしたいと幼い頃に思ったのが始まり。以来、お小遣いやバイト代を映画に費やす。
家庭の事情により高卒でタイヤメーカーに入り1年で退社。喋る仕事をしたいという思いからイベントのナレーターコンパニオンへ転職。
その時、『あなたが寝てる間に』試写会の司会をして映画関係者と出会い、映画番組の作り方を聞く。アドバイスをもとに企画書を持って神奈川のケーブルテレビ「YOU TV」へ売り込みに行き、メインパーソナリティとレポーターをやることが条件で映画コーナーを持ったのが22歳。
その縁がきっかけで、映画イベントの司会を頼まれ、口コミで多くの映画会社から司会の仕事が来るようになる。
舞台挨拶や記者会見の司会ぶりを見ていたTV局やラジオ局、雑誌社から仕事が来るようになり、TSUTAYA店内ラジオ「WAVE-C3」のスタート時からDJを担当、映画紹介の原稿は本人が今も書いている。
各映画会社の推薦でTBS『ワンダフル』の映画コメンテーターとしてコーナーを持った後、TX『キネマ地球座』やTX『トーキョーF』(映画コーナー)TBS『2時ピタ!』(映画コーナー)などで顔出しをしながらコーナーの構成も担当。映画TV特番のナビゲーターやナレーターも務めている。
洋画、邦画の記者会見や舞台挨拶の司会を毎週しながら、映画祭では日本映画プロフェッショナル大賞、東京国際映画祭、したまちコメディ映画祭などの司会もしている。
小説『返信~TAMA.瞳の中の記憶』を講談社から出版。
聞き方上手になる本「2分で距離を縮める魔術~人に好かれる秘密のテク」をワニブックスより発売。
一時、ホリプロと番組出演などのマネジメントとして業務提携し、映画パーソナリティとして個人事務所でやっていくことで昨年(2009年)解約。
以後、個人事務所「伊藤さとり事務所」で活動中。
こんな感じかなぁ。
19歳からのナレーターコンパニオン時代に
フリーでも仕事をしていい事務所に入っていたのが
最初の喋りの仕事を広げるきっかけ。
ステージで喋っていると代理店の方などから名刺を頂き
連絡先を聞かれて、TVやラジオで仕事が来るようになったし。
だから映画の道が開けたのはフリーで仕事をしていた時に
出逢った人、見つけ出してくれた人との縁が一番です。
それだから、全ての「映画配給会社」が特に私の恩人です。
だから「映画配給会社」さんとの仕事ではマネージャーを通さず
皆と話し合いながら、仕事をしやすくイベントを成功させたい。
大切に大切にひとつとつ全力投球。
私を選んでくれたことに感謝をしながら
映画を愛で包むことぐらいしか出来ないけれど。
映画配給会社に売り込むことなんて恐れ多くて未だに出来ない。
色んなことありますが、不安じゃないとは言えないけれど
悲しいことも残念なことも「好き」だから仕方ないし
これも運命、いいかなって思ってるんですよ (*^o^*)