日々の暮らしを大切に

日々の暮らしを大切に

我が家の大黒柱がいきなり腎臓がんに。

いつまでも忘れないための記録として。

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薬の量をどんどん増やしていく。


私が見ている間、痛みがない時はうとうと寝ていることもあった。


はっと目を覚まして


『〇〇(私の名前)、餃子の注文入ったな!やっぱり野菜が人気やなぁ』


と私に言う。


最初はせん妄がどんな状態だったのか分からなかったので一瞬間ができてしまったけど


『そうやね』


と答えた。


『〇〇(会社の上司)のお嬢様パーティ、〇〇(私の名前)も行かないとあかん。嫌やなぁ』


私『パーティ??それは嫌かなぁ』



辛かった日々で、少しふっと笑うことができる思い出。


時には私が病室に入った瞬間


『遅い!靴は?早く行かないと。裁判所に傍聴しに行かないと』


と身体中に管がついてることも忘れててすたすた歩いていく。


子供たちがいる時に分からないことを言い始めたらどうしようと心配したけど


不思議なもんでそれはなかった。


子供たちがいるとパパとして話しかけていた。


すごいね。


病室に入って顔を見たら私は『ただいま!』と彼に言う。


『おかえりー』と嬉しそうに答える彼。


せん妄も時々ある中でもやっぱり辛い痛みは続いていた。


病院に子供たちと向かう途中で彼からLINEがきた。


『何時にくる?』


私『もうすぐ着くよ』


『鎮静剤にサインをして』


このメッセージが彼からきた最後のLINEになった。


日に日に痛みが悪化していく。


緩和ケアの先生が色々と薬を試してくれるがなかなか難しい場所に腫瘍があるらしく痛みをとることに苦戦している様子だった。


子供たちをつれて行く日もタイミングが大切だった。嘔吐をしている姿は本当に見ているのが辛くて、、


痛みがひどいと彼も子供たちに気をつかうことがしんどいと言う。


でも一体彼がいつまでこうして自分の意思で言葉で話ができるのか分からなくて、子供たちともきちんと話をできてなかったから私は、妻として母親としてどうすればいいのだろうとずっと考えていた。


そんな中、少しだけ体調が良さそうなときに子供たちを連れていった。


その日の彼の言葉は家族の心の中にしまっておきたいのでここでは書きませんが、彼は自分の思いを伝えていました。


どれだけ子供たちのことを思っているのか、愛しているのか、それはこの先会えなくなってもずっと変わらないことだということを、時折襲ってくる痛みを我慢しながら、いつもの優しい口調で伝えていた。


特にパパっ子だった娘は頑張って笑顔で返していたけど気持ちはぐちゃぐちゃで

家に帰ってから愛犬の横でえんえん泣いていた。


息子はいつも顔にはださない子なので、取り乱した様子もなかったけどそれが逆に心配だった。

この入院から彼の状態は悪化していった。

熱は下がったが痛みと嘔吐はひどくなる一方だった。


私は顔をみないと安心できなかったので毎日病院に通った。


薬で痛みをコントロールできているわずかな時間に話しをすることができた。


『毎日私の顔しか見れてないね。他に来てほしい人いる?会いたい人いない?』


彼 『いない。〇〇が来てくれたらいい』


そうか、、でも日に日に痩せていくし、あなたを心配してる人がたくさんいるよ。内心思いながらも、もし自分でも彼と同じように、痩せていく姿を誰にも見せたくないと思っただろう。


この頃からもしかしたら、もう彼は治らない、

家には帰れない、奇跡はおこらない、、

そんなふうに思い始めていた。