金森得水 和歌集「那智山瀧歌百首」

九 登し古とに 以可者伊歌伝登 おも飛故し
  那智の大瀧 介ふ見川る哉

 (としごとに いかばいかでと おもひこし 
  なちのおおたき けふみつるかな)

   毎年々、行こう々と思いながら、行けなかった。
  その那智の滝に、やっと、今日、見ることが出来た。

   熊野の山は、遠くて、険しく、深い。
  毎年々、思いはあるが、なかなか実現できなかった、

   やっと、その夢が叶った喜びが、素直にでています。

五十五 那知能瀧 所の美奈かミ者 比登は祢尓
    知左斗越かける 登利毛新羅し奈

   (なちのたき そのみなかみは ひとはねに 
    ちさとをかける とりもしらじな)

    那智の滝の水上(みなかみ)を。
   一跳ねで千里を駆ける鳥でさえ、

   知らないだろうな。

三十 奈知能山 多き毛故ほ連累 孤古智して 
   物春左満志支 冬乃夜能通喜

  (なちのやま たきもこほれる ここちして 
   ものすさまじき ふゆのよのつき)

三十一 滝能音耳 満容波濃奈知能 ミや末路者 
    雪ふ可く斗母 巨馬伴巴難多慈

   (たきのおとに まよはのなちの みやまじは 
    ゆきふかくとも こまははなたじ)

     真夜中の那智の深山は、滝の音もすさまじい。
    雪が深いが、駒(馬)は、放すことがない。

    難解。
   今の私の解釈です。

三十二 布遊不可美 古保良濃多耳母 
    難幾余波尓 猶お登た可し な知能多き川世

   (ふゆふかみ こほらぬたにも なきよはに 
    なおおとたかし なちのたきつせ)

    冬も深くなり、凍っていない谷はない。
   そんな、夜半、なお一層、那智の滝浪は、

   音高く、流れている。

「金森得水」(かなもりとくすい)

 江戸時代、紀州藩田丸領久野家家老として、
藩の財政立て直し、農地開墾、産業振興等に

尽力しました。

 傍ら、表千家から、的伝を受け、
北は、亀山から伊勢まで、多くの茶人を

指導しました。また。

 歌人としても優れ、、「那智山瀧歌百首」
「北野奉納梅百首」「艸人木百首」「冨士百首」

「茶器物名漫吟五十首」など、多くの和歌を
遺しました。

 慶応元年(1865)80歳没。

 表千家十代吸江斎宗左に就いて茶を学び、
伝授を受けました

 同門に、京都三井家・三井高福等がいます。


 得水は茶道具も自ら作成し、茶筌等、
今も珍重され、茶人に愛でられています。

 また、玉城町田丸には、得水が造った
住居兼茶室「玄甲舎」が町文化財に指定されて

遺されています。