レバノン・・ | satonaka☆音の見聞録

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この国は半世紀近く前に日本から渡った、或る活動家たちの拠点となった場所である。
彼らは世界同時革命という現実から離れた理想を掲げていたが、イスラエルの侵略により迫害されるパレスチナ人たちの惨状に着目し、ここを闘争の場と決めた。そしてベイルートに到着すると、彼らを迎えたのはPFLP(パレスチナ人民開放戦線)のメンバーたちであった。

この地に足を下ろしたのは彼ら活動グループだけではない。当時は世界各国から集まった様々な分野の人たちが支援活動を繰り広げており、その中には日本人のボランティアも少なくなかった。

もちろん彼ら活動グループは戦闘集団でもある。先に記した非現実的な理想を真っ先に論破した、そのPFLPの傘下に入り、そこで広報部長を務める
ガッサーン・カナファーニの指揮のもと、日々の活動や訓練に勤しんでいた。
(この広報部長は当時パレスチナを代表するジャーナリストであり、彼の書いた小説は日本でも翻訳本が出版されている)

そして実戦に赴く日がやって来る。攻撃目標はテルアビブ国際空港…ヘブライ語でロッド、アラビア語ではリッダと呼んでおり、当時はれっきとした軍事空港であった。
だがここを攻略するに、アラブ人が足を踏み入れたが最後、たちまちイスラエル兵に身柄を確保されてしまう。
そこで白羽の矢が立ったのは、日本からやって来た青年たちである。…そう、彼らは義勇兵として敵地に乗り込んだのだ。生きて帰還できる可能性はなきに等しい。所謂、決死作戦である。

それは昭和47年5月の終わり、日本にもニュース速報でテルアビブ空港乱射事件として大々的に取り上げられた。…アラブ側はこれをリッダ闘争と命名する。

これを機にイスラエルからの蹂躙で意気消沈していたパレスチナを始めとするアラブ諸国では、一気に反撃ムードが盛り上がっていった。諦めずに闘えば列強国の弾圧から開放される日がやって来る!…そんな気運が日に日に増していったのだ。

だが米国など列強国側に追随する日本政府としては、これを黙認する事は出来ない。
アラブ側の理屈ではれっきとした軍事行動でも、日本の当局は単なる無差別殺戮の事件として扱い、義勇兵として赴いた3名(うち2名は任務決行直後に自決)に刑法第3条の国外犯を適用した。
アラブ系を除いた諸外国もこの戦闘には軒並み批判的で、それは米国から巡礼に訪れたプエルトリコ人らを中心に多くの民間人が殺傷されたからである。

しかし世界中に流布されたこの情報は、いささか正確ではない。
それというのも事件当時は全ての情報をイスラエル側が握っていたためで、自決に失敗して身柄確保された残り1名にも発言権はなかった。
…というより連日連夜の拷問により数ヶ月後に法廷に現れた姿は廃人同様であり、ただ「私は日本○軍だ!」の文言を機械的に繰り返すのみ。つまり証言能力をも失っていたのだ。
そして殺傷された犠牲者が受けた銃弾を調べれば、誰が撃ったものによるのか?はっきりと判明するものなのだが、イスラエル政府は国連による現場検証を頑なに拒否していた。

事実が捻じ曲げられているのは明白で、実際、13年後にパレスチナ側と合意された人質交換により釈放され、レバノン政府に身柄を保護された先述の生き残りの1名(彼の名を岡本公三という)は、
我々が射殺したのは管制塔を占拠すべく向かった先に立ちはだかるイスラエル兵のみで、これに錯乱した兵士たちが無差別に銃を乱射したものと証言している。

だが事を真実に正すにも、既に列強国の都合で流布された一方的な情報は長年に渡って浸透しており、
パレスチナ側からの人質交換要求に10年以上も応じなかったのは、生き証人をすぐに開放したら隠していた事実をあからさまにされてしまい、それを恐れたからであろう。
今でこそ日本から一歩出れば、錯乱したイスラエル兵たちによる乱射である認識のほうが浸透しているが、日本版及び米国版のWikipediaには未だに日本人3名が一般乗客を殺傷したものと記載されている。(まぁWikipediaの内容なんて虚実織り交ぜた情報である事は一部の間では織込み済みなのだが)
これが列強国側の都合であり、この国もそれに追随しているのだ。
しかし、そもそもPFLPの闘争に、一般人を犠牲にする立案は有り得ない。他の闘争を見ても、それは明らかである。

岡本氏は自決失敗により生存兵となって帰還したものの、アラブ諸国では英雄として迎えられた。
ところが日本の当局は彼の開放を知るや、これを遺憾とし、インターポールを通じ国際指名手配としたのである。
扱いは、片や戦果を上げた義勇兵、片や無差別殺戮の凶悪犯…大きな違いである。
もしこれで犯罪者扱いになるのであれば、フランスに渡って外人部隊に入隊した日本人(柘植久慶が有名)の傭兵も、戦地で敵兵を殺傷したなら刑法第3条により訴追されなければならなくなる。これぞ法の主旨を逸脱した訴追側の矛盾である。

それに岡本氏はイスラエルにて既に刑罰を受けたのである。
この国でも憲法第39条で二重刑罰は禁じられている。
たしかに外国判決の効力について記された刑法第5条の前段では
「外国において確定裁判を受けた者であっても、同一の行為について更に処罰することを妨げない。…」となっており、
但しこれだけだと、先述の憲法第39条に反してしまう。
なので後段では
「…ただし、犯人が既に外国において言い渡された刑の全部又は一部の執行を受けたときは、刑の執行を減軽し、又は免除する。」となっている。

岡本氏はこの軍事行為に対して終身刑を言い渡されているが、この人質交換での身柄の開放は、
ジュネーブ条約に基づく正式なものである。
つまり前述の終身刑はパレスチナを侵略するイスラエル側の一方的な理屈で下された、飽くまで軍事裁判上の判決であり、国際的な公平性から、同氏はもう開放されるべき。…そういう判断なのだ。
だから本来はこれが効力を発揮しなければならないのだが、

この国の法は、そのジュネーブ条約の決定さえも飛び越えてしまっている。
この様な日本側当局による訴追は、甚だ本末転倒である。

では百歩譲って、岡本氏は日本人“なのだから” 日本国の法律を適用すべし。…だとしても
刑法第3条の、前段のみを適用すれば、もちろん憲法第39条に反し、
後段を照らし合わせるなら、イスラエル側の下した量刑の扱いは既にジュネーブ条約により定められたのだから、これ以上の訴追は出来ない筈なのだ。
しかしこの本末転倒が日本国内ではまかり通る…それがこの国の司法制度なのだ。



話は冒頭からかなり横道に逸れたが、
元日産自動車社長のカルロス・ゴーン氏も少し前までこの本末転倒な司法制度の犠牲になりかけていた。
そのゴーン氏も同じくレバノンに逃げ込んだのは、先述の岡本氏とは全く事情が異なり、細君が住んでいるなど生活基盤の一部がここにあるからなのだが、
筆者の個人的な観点では、かなり象徴的な出来事に思えてならない。

1985年に開放されてレバノンに在住していた岡本氏も、そこが当時の同志たちの拠点だったからであり、
国籍もそのまま日本にあったが、政府は日本側に身柄を引き渡す事はなかった。

当時このレバノンは、今に続く政情不安定に加え、自国の統治力があまりにも低く、無法地帯に近い状態でもあった。
その社会状況を安定させるべく治安維持等の全般的な行為を請け負ったのがPLO(パレスチナ開放機構)であり、これは先出したPFLPの上部機関である。
岡本氏の同志たちはこの傘下に入っていたので、レバノンにとって彼らも国に社会貢献する一員だったのだ。

その後レバノンは更に政情不安定となり、パレスチナの擁護についても一枚岩ではなくなる。
そしてそれは日本から来た活動グループなとっても安住の地ではなくなりつつある事を意味し、岡本氏も一時は旅券法違反で捕まって3年ほど身柄拘留されたりもするのだが、紆余曲折、
最終的には2000年に亡命申請が受諾された。
理由は、万国に共通する法の原則である筈の、二重刑罰の禁止について、日本の当局はこれを遵守していない事にあり、
アラブ社会の英雄的存在の身柄を、この様な本末転倒な法を行使をする国には引き渡す訳にはいかないからである。

レバノンと日本では法の扱いについて、既にこの様な大きな相違が生じており、
ましてや今回は亡命申請者でなく、出生地として国籍を有しているのである。
日産社長就任時にイスラエルへ入国するなど、自国の違法行為については訴追される可能性は残っているものの、日本に身柄を引き渡す事は、先述の流れからも国として不名誉な行為となり、まず考えにくい。
国際指名手配による出国禁止令も、筆者としては擁護の意味も含まれていると考える。この命令がなくとも、迂闊に他国へは出られまい。

日本の捜査当局にとって、このレバノンはさぞかし因縁の国となってる事であろう。
だがそれは、元を謂えば日本の司法制度の横暴から始まっているのだ。
世界的に見ても、この様な馬鹿げた司法制度は先進国としては有り得ない次元にある。

取調べに弁護士の同席は認められず、起訴イコール有罪率99パーセント…これだけでも先進国と認められた他の法治国家から見れば甚だ異常であり、
ゴーン氏が声明にて、この国の法廷を八百長裁判と呼び、自身がその人質であったと述べるは、極めて妥当と考えられる。
(こちらに単独弁護団の一人が個人的見解を述べています→記事

〈その記事の冒頭にもありますが、ゴーン氏がこの国を脱出した直後に公表した声明文もここに記載します〉
私はいまレバノンにいる。もう日本の八百長司法制度の人質ではない。そこでは有罪の推定が行われ、差別がまかり通り、そして基本的な人権は否定される。これらは日本が遵守する義務を負っている国際法や条約に基づく義務をあからさまに無視するものである。私は正義から逃れたのではない。私は不正義と政治的迫害から逃れたのである。私はようやくメディアと自由にコミュニケートできるようになった。来週から始めるのを楽しみにしている。


そう、この〈日本が遵守する義務を負っている国際法や条約に基づく義務をあからさまに無視…〉のくだりは、岡本氏のジュネーブ条約を無視した件でも明らかであり、
ゴーン氏の今回の行動は、この国の司法制度という名の “悪法” からの脱出だったのだ。
この逮捕からの一連の拘留期間は、さしずめ犯罪組織による拉致監禁を受けた感覚に似たものがあったろう。

独裁国家や軍事政権ならいざ知らず、一応は先進国として名を連ね、建前上は民主主義を掲げる一国家が、この様な司法制度を敷いてるのは甚だ異常であり、
その犠牲になっている人たちは数知れぬ。

ゴーン氏にはたまたま脱出する手段があったに過ぎず、この国に住む殆どの一般市民にはその様な抜け道は開かれていない。いったん身柄を拘束されたら最後、官憲たちの仕掛けた罠にとことんハマっていくのだ。
無実の罪で投獄され、裁判官に言い渡された服役期間が終了するまで壁の中に閉じ込められている市民はどれだけいるだろう?ちょっとやそっとの人数ではない事だけは確かである。


そしてこの悲劇は突然にやって来る!
次は貴方かもしれません。今はたまたま巻き込まれずに済んでいる、ただそれだけに過ぎません。
この国の三権分立はまったくのウソ!
つまりそれは、法律を司る機関と捜査権を有する機関が、市民に対して何でも出来るという事であり、その為には、どんな口実でも使えるという事であります。
そう、明日は我が身!

国際法でどう定められていようが関係なく、どんな事でもまかり通る、
そんな恐ろしい司法制度のもと、皆さんはこの国に住んでいるのです。
捜査機関や検察局による嘘の塗り重ねで起訴が成立し、いちど起訴さえされてしまえば、あとは法廷にて
99%の有罪率…ここで真実を審理される事はありません。だからこそのパーセンテージなのです。

故に、裁判所こそ市民に対する組織犯罪の巣窟なのです。
この組織犯罪に抗する事が果たして市民に可能でしょうか?
…おそらく現状では難しいでしょう。
だからこそ!
今回の逃亡劇…正確には悪法からの脱出は、大きな価値ある行為なのです。

ゴーン氏はインターポールを通して国際指名手配の扱いを受けておりますが、これで日本の当局に身柄を送還される訳ではありません。逃亡先のレバノンから出国禁止令も敷かれましたが、身柄の自由が奪われた訳ではありません。
言論の自由も健在であり、声明文も公表されました。

今回の一連の出来事はこの国の腐敗した司法制度に対して一石を投じられるかもしれません。
その可能性を大いに秘めた、今後のゴーン氏の動向に注目していきたいと思います。