そして、ブロフェルドの存在感は…… | satonaka☆音の見聞録

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(前記事からの続き)




エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド


知ってる人が聞けば この名は “SPECTRE” の首領である事はおわかりなのだが、
007シリーズの新作に於て 実に44年ぶりの登場となる。映画版でフルネームを名乗るのは今回が初めてのような気がする・・
ショーン・コネリーが最後にジェームス・ボンド役を務めた 1971年の『007/ダイヤモンドは永遠に』以来、ロジャー・ムーア時代はもちろん、ティモシー・ダルトンやピアーズ・ブロズナンの時代も この組織名と共に使用出来なかったのだ。
これには映画化第1弾の製作に取りかかる前から著作権関係の争いが勃発していた その影響からなのだが、長年の時を経て ようやく和解を取りつけた
その前記事にも書いた経緯からして、「007/スペクター」という捻りも何もないベタ過ぎるタイトルに 当初は頭傾げたものの、まぁ頷けなくもない。内容さえ良ければ文句はないのだが、

さて、その内容だ・・
たしかに6代目ボンドのダニエル・クレイグ版になってから 前代に比べて作品としてのクォリティも高いし、全編に渡る緊張感は群を抜いてる。

だがあれほど製作サイドの悲願を遂げたという姿勢がタイトルにも顕れているのだから、あまり安易な謎解きや連鎖性を使わないで欲しかったのだが、
これはどうなのだろう?…という描写が所々見られる。

今回は劇場へ行くにあたり予めDVDで再びクレイグ版の前3作を観直しており、
『007/カジノロワイヤル』の最後でボンドに拘束されたMr.ホワイトという男が、その続編に該たる『007/慰めの報酬』の冒頭で逃げたまま 本編から姿を消したので、
この男が属する “クァンタム(Quantam)” という組織が 実は “SPECTRE” の傘下であったとこまでは容易に推測出来るし、この機関が小説版で唯一 実体として登場した『007号/サンダーボール作戦』の中でも  各方面の犯罪組織・活動機関から出向してきた精鋭たちによる集合体で構成されたものとして描かれているし、
前作『007/スカイフォール』のラストシーンから復活させた約束ごとがそのまま活きてるし、前任Mの遺志を継いで独壇場の無茶ぶりなどもあり、

それで繋がりは充分な筈なのだが、何故か?それ以上に話を連鎖させてしまって、これではあまりにも不自然である。

ボンドが少年期に住んでいた屋敷・スカイフォールの焼け跡に残った僅かな遺留品から謎解きが始まるのだが、
両親と死別後に育ての親となった その実の息子がボンドの後を追って全てを仕掛けた・・
なんだそりゃ?……苦痛を与え続ける為とか何とか、
00要員としての最初の任務で財務省の女性と恋に堕ちて哀しい結末に至る事や、元イギリス諜報部員の上司Mに対する復讐劇まで
何故?そこまで繋がるのだ??
今回のブロフェルドは単なるボンドのストーカーかよ?

実の父親が自分でなく養子のボンド少年に愛情注いだ事で 歪んだ成長を遂げ、なにくそ精神で頑張って出世したはいいが、しまいには悪の権化になってしたいました!とさ……
憐れみ誘う悪のアンチヒーローかい?


背景を描き過ぎると、この様に登場人物の威厳性が損なわれてしまうのだ。
全てを連鎖的に辻褄合わせ、そして両者の因果応報を表現したかったのかも知れないが、ここまでやると
逆に辻褄合わないぞ!

そもそも “SPECTRE” とは謎のヴェールに包まれた秘密機関であり、この一作で全てを明らかにして どうするのだ?
コネリー時代でさえ最初は悪役が名称だけをバックボーンとして その強大かつ恐ろしい存在である事を仄めかせ、次に首領の猫を抱えた膝元だけを見せ、
遂に組織の名を公にして宣戦布告仕掛けた時も同様、全体の姿は見せず No.1と名乗るだけ……
ボンドの前でブロフェルドとして首領の正体見せるのは第5作からである。

ページを一枚ずつ捲っていったのだ。時には暈し 見え隠れさせながら……
それでこそ存在に深みが出る。映画に限らず、小説にしろ絵画にしろ
“解釈はご随意に” が原則である。決められたものを説明的に押し付けてはいけない、創作物というのは・・


そもそもブロフェルドとは もっと狂った存在の筈だ。
原作第10作『女王陛下の007号』では 潜伏先のアルプスにてボンドが捕らえられるのだが、その中での両者の対話に
「お前は単に職務を行う公務員の一人に過ぎない。だが私は一大事業を成し遂げようとしてる世界の創始者なのだ」……
そう、特務工作員なんて映画や小説では さも格好よく描かれてるが、所詮はサラリーで生計立てて 御国の為に働いている。作者のフレミングも戦時中はデスクワークを中心に淡々と…そんな地道な日々を過ごしていたから、悪役の目を通して そんなもんだと言ってるのだろう。
片や悪の首領は何にも縛られない 自由な発想の持ち主だ。小説家などクリエイティブな事に携わる者は 少なからずそう考える。
だから公務員の側であるボンドの意見はこうなる。原語で
“His head goes out”……と。。
当時の翻訳本では “彼は気が狂ってる” だが、イマ的な言い回しだと “あいつ イッちまってるぞ”……なんて風になるであろう。
“crazy”や“insaine”を使うより よほど全能な狂人の様相を呈しており、悪役としての人物的深みを読者は感じるのだ。

オーストリア人であるクリストフ・ヴァルツもとても良い俳優であり、製作側が描きかたをもう少し考えれば ブロフェルドとしての存在の恐ろしさを醸し出せた筈だ。テリー・サバラスに匹敵するくらい……
ドナルド・プレザンスやチャールズ・グレイよりも よほど不気味な雰囲気を持っており、なんだか勿体ない話である。

余談ではあるが、いつだったかバカな評論家が
“ブロフェルドとして一番の存在感を示したのは 結局アメリカ人だった” とシリーズへの悲観的な意見を述べていたが、
何て愚かなのだろう。。
彼は国籍こそアメリカだが、両親は共にギリシャ系であり、原作にあるポーランド人の父とギリシャ人の母の間に産まれた その血統に最も近いのだ。
まぁ他の役柄でイメージの定着した俳優を起用したという点では不満が残って そう書いたのかもしれないが…しかし刑事コジャックを演ずるは この数年先である。


あと一つ、これはやって欲しくなかったのは
ヘリで逃げるブロフェルドをボートて追うボンドがPPKで撃ち落とす……いくらなんでも これはないだろ!
原作の第5作まで使用してたベレッタ25口径の婦人用護身銃に比べたら幾分威力はあるだろうが、所詮それでも小型銃に違いはない。それに射程距離から外れてるのも明らかだ。
荒唐無稽の活劇は折り込み済みだが、これでは少しシラケた気分になる。尤もムーア時代もそれ以上に “これはないだろ?!” 的な描写あったが、、

クレイグ版のボンドは基本的に描写もシリアスで、筆者の印象は原作の人物像に最も近く、一番のお気に入りだ。
歴代の5人と比べても 作品に大きなハズレはないし、だからこそ少し残念なのだ。
先に挙げた部分をもう少し何とかすれば シリーズ中上位にランクする傑作になったかも知れないのだ。

まぁいずれにしてもクレイグ編の007は今回で完結した感がある。
自身もこれを最後に降りたい意向を表明してるし、7代目の候補者も挙がっているそうだ。
当局に身柄拘束されたブロフェルドの 次回作での展開が少し読めてしまうが、また観に行ってしまうであろう。クレイグのボンドが気に入ってただけに、あまり期待はせずに・・