こちらでは、病気になった患者の家族という立場から、その闘病生活についてお伝えしています。
同じような、親や兄弟に患者さんがいる方に向けて、その心にほんの少しでも寄り添えるブログになればと思い、書いております。
前回のこちらの記事からの続きです。
よろしければ、続けてお読みくださいね。
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同じような、親や兄弟に患者さんがいる方に向けて、その心にほんの少しでも寄り添えるブログになればと思い、書いております。
前回のこちらの記事からの続きです。
よろしければ、続けてお読みくださいね。
(母の記録より)
―――――――――――――――――――――2010年6月9日(水)
熱が下がらない 水枕3コ
今朝は40℃あったらしい
ずーっと寝てる
一度も目あけず
6月10日(木)
やはり熱あるのか(水枕1コに)
ねてる ずーっと寝てる
6月11日(金)
(私が書いた記録です)
寝てる
水枕は3つくらい
顔が小さくなった(ほっぺとか首とか)
時々しかめっ面
6月12日(土)
横向き 眠っている
ちょっと目をあけて(片目)
皆(私の父方の祖母、叔父、母、私)
の顔見る(目で追う)
★先生からの話
・脳梗塞の心配はない
・水頭症は少しあるが問題ない
・CRP数値(炎症を示す数値)
→かなり高い
→どこかしら炎症が起きてる
→感染がどこかで起きている
→落ち着かないと(何とも言えない)
まずは落ち着かせる
6月13日(日)
熱下がらず 眠っている
下痢をしているよう
左腕の点滴がもれていたのに気付く
→看護師さんに言ったら別の場所へ
鼻から薬(口から飲み込めないため)
水枕3コ
目あけて話を聞く様子
でもしゃべらない
看護師さんの処置に「イテッ」のみ(言う)
「○○ちゃん(私のいとこ)が
『△△(父のこと)に写真撮ってもらいたい』
って言ってたよ」
と言うと、
ちょっと聞いているそぶり
(※父は写真が趣味で、一眼レフとかかなり大きな望遠レンズ数本持ってるのです)
「帰るね」と言ったら足で
バイバイしてくれた
こちらが話している内容は
分かっているようだった
6月14日(月)
熱は37℃台に
下痢はあるようだ
目をあけて、こちらの問いかけに何か話すかんじ
「ハイハイハイハイ」(と言った)
相変わらず看護師さんの処置の時
すんごいしかめっつら
沖縄の人たち
(父は仕事で一ヶ月程沖縄にいっていました)
のこと(花をくれたこと)伝えると、
一生懸命きく様子
今日は表情豊かであった
しかめっつら以外にも片笑い
目をパッチリ見開いたり・・・
6月15日(火)
37.4℃ 下痢してる
ちょっと目をあけてまた眠る
6月16日(水)
今日は目をあけている
名前は?ときくと
(すぐには)言えないけど
「○○(苗字)」(と言う)
(下の名は)「○○」と言ってあげると
「○○」とおうむ返しできる
あとは「きは」とか小さい声で何かしゃべってる
「治ったら車屋(ステーキと懐石料理の店)
行こうよ」というと
「くるまや」という
今日は熱が38℃
その他は数値は下がっていると、看護師さんより
「昨日の午後からだいぶ反応いいですよ」
とのこと
「足のグーパーしてみて」というと
ゆっくりしてくれた(右足)
「手は?」ときくと
ゆっくりにぎって
ゆっくり広げた(右手)
発症から1~2週間。
まだそれくらいしか経っていないのに、
こんなに反応よく
変化してきたんだ!
と、当時は思っていた。
いま改めて読み返し、
当時を振り返ると
なんと壮絶な状況だろう!
と思う。
でも人って客観的にみて
本当に壮絶な大変な
絶望的な状況にいるとき、
渦中では「絶望的だーー!」
とか思わないのかも知れない。
そこでは、ただただ
目の前のことをこなしていくだけ。
かなり、淡々としてます。
冷静です。
なぜなら、
目の前の状況を受け入れて
やるべきことを一つひとつやらなければ、
前に進めないから。
それくらい、
必死だったのかも知れない。
<続きます>
