こちらでは、病気になった患者の家族という立場から、その闘病生活についてお伝えしています。
同じような、親や兄弟に患者さんがいる方に向けて、その心にほんの少しでも寄り添えるブログになればと思い、書いております。


前回のこちらの記事からの続きです。
よろしければ、続けてお読みくださいね。








(母の記録より)



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2010年6月1日(火)

「気持ちい~ね~」
私たち(母と私)を見て「○○と○○」(名前を言った)
おぼえてる?と聞くと
「おぼえてるよー 自動車で来た」(来てくれたという意味かも)


6月2日(水)

午前中 母のみ

熱があるのか氷枕してる
時々しゃべるがあまりはっきりしない

午後 私のみ

色々しゃべる ○くん(彼氏)のことは忘れてた


6月3日(木)

一瞬正気のような表情をする
あとはいつもと同じ
胸のCTをとるとのこと

6月4日(金)

午前中理美(私)のみ行く
ほとんど眠っている
手袋した手をパタパタしたり
にぎったり うごかしていた

6月5日(土)

14:00熱あり
看護師さんの「お名前は?」に対し
はじめは答えなかったが
目が覚めてもういちど聞かれると
「○○ ○○(フルネーム)」と答える
「バンザイしてください」には ひじから先を
ヨロヨロと上げる


6月6日(日)

熱あり
かわりなし
2週間は血圧コントロールして
安静にしていなくてはいけないとのこと
どの程度回復するかは
先生にもわからないとのこと

6月7日(月)

15:00
熱38.7℃
変わりない
看護師の処置に
「いたい いたい いたい」
と顔をしかめる


6月8日(火)
ずーっと寝てる 熱36℃台に
点滴 首→手へ
「熱は首からの点滴のせいかも」
との判断で(変更された)
その後目を覚まし、わりと正気の表情するが
口もごもご(と動かすだけ)で
しゃべることができなかった
抜糸したのかガーゼとれて
フランケンみたい

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発症後すぐ、一見落ち着いたように見えた。


問いかけにも
わりと答えているし。

そりゃ、一度意識がなくなったんだから、
上手くしゃべれないこともある。
熱もかなり出ているんだし。



私はあくまでもそのように、
プラスの面を見つけて
回復を信じていた。


たとえ身体が一部動かないような
後遺症が残ってしまっても、

元々の生活とは少し違うかも知れないけれど、

この調子なら
またいつか再び家に帰ってきて
工夫しながら
一緒に暮らせるんじゃないか?



そのように信じていた。

信じたかった。



<続きます>