こちらでは、病気になった患者の家族という立場から、その闘病生活についてお伝えしています。
同じような、親や兄弟に患者さんがいる方に向けて、その心にほんの少しでも寄り添えるブログになればと思い、書いております。



ピンクハートいつもいいね!の応援を頂き、ありがとうございます。大変励みになります!ピンクハート


前回のこちらの記事からの続きです。
よろしければ、続けてお読みくださいね。









(母の記録より)
―――――――――――――――――――――――――――
2011年3月5日

老健の面談に
○○(父)のように精神的に
問題のある人は無理そう
入所できたとしても
3ヶ月後にまた判定されるし

老健を出ようとしたとき、
ソーシャルワーカーさんから
お迎え催促の電話
急いで家に戻り、車で小規模多機能へ
○○はイラついた不穏な顔つき
でもソーシャルワーカーさんには
馴れ馴れしい態度
ソーシャルワーカーさんも
でん、と肝が座った感じで
○○に対応している

車で家へ
今日は疲れたので、お寿司をとることに
○○も喜ぶ


3月6日

午前中△くん(私の父方の叔父)くる
◎くん(私のいとこ)と
お昼はみんなで焼きそば
13時半ごろ△くんたち帰る

その後○○(父)おかしくなる
2階へ行ってYシャツ(しかも半袖)
を着るというから、勝手に着せる
ネクタイと社員証をぶらさげ、
ジーパンはいて下に下りたのに、
また「Yシャツのネクタイ」を出せ
と私に言う
「ネクタイならしてるじゃない」と言うと
「これじゃない、ちがう」と
全く訳が分からず
「早く出せよ」と怒り出し殴りかかる
恐ろしい
だってダイニングのテーブルの隅っこに
私を追い詰めて言うんだよ、ひどい
そのまま外へ
しばらく歩くと心が落ち着くも、
先に帰れとか、わしはこっちに行くとか言う
ようやく家に帰り
「32分の電車に乗る」と
「どこにいくの?」と聞くと、
「夜の横須賀だよ」

その後皆で紙風船や
紙飛行機を作って遊ぶ

夕食の時、今までにない程の爆発
しかも突然
お好み焼きの一枚目を食べた後あたりから
様子が変になり、
○(私)に拳を振りかざす素振り
何が気に障ったのか分からない

(収まらず、本当に殴られそうだったので)
○も逃げて私も逃げて、
「○○やめよう、落ち着こうよ」
と必死になだめ、
一旦はテーブルに戻るも
すぐにまた(殴りかかる)
あの顔は普通じゃない、恐ろしい
何とも巧みに追い詰める
本当に恐かった
○が殴られそうになると私が止め、
止めに入った私に今度は向かってくる
それを○が止める
リビングのテーブルは盾になり、
叫びながらとうとう電話の子機をつかみ
鍵の掛かる洗面所へ
110番して・・・

(後で考えると洗面所より
トイレに入れば良かったのですが、
その時は頭が回りませんでした)

おまわりさん(2人)が来るまでが
長く長く感じられた
外に出る訳にもいかず、
あんなに恐ろしい時は初めて
○○はドアを両側から
ガチャガチャ開けようとして
○が必死に押さえる
(洗面所にはドアが2箇所あり、
1つは鍵がついてないのです)

私は110番
「早くきてくださーい!」と
おまわりさんが来てくれて、
私たちは2階の寝室で
おまわりさんに話をする
○○はパトカーに乗せられ
私たちは家の戸締まりをして
後から警察署へ
○○は暴れているらしい
ここでもおまわりさんから
事情を聞かれる
県の保健所の人が対応してくれるらしいのだが、
今日に限って6人もいるらしく、
まだまだ時間が掛かるとのことで、
一度家へ帰る

二人で散らかった部屋を片付け

○はお風呂へ
私ほテレビでシフが
バッハのフランス組曲全曲弾いているのを聴く
心が落ち着く

おまわりさんや保健所の人から電話
あっちやこっちで
同じこと何度も話さなきゃいけない

午前2時頃再び警察署へ
そして20分ぐらい待たされ、
○○の車とは別の車に乗せてもらい、
XX病院へ
3時半ごろ着いて
○○の診察には7~8人の警察官らしき人と
保健所の人が来ていて
物々しい雰囲気
私たちは○○から見えない所に座る
○○が少し可哀想 情けない

措置入院というかなり重いものらしい
なんでも、県知事の命令の下行われる入院
(強制的な)
書類を保健所の女の人が読み上げる
○○はそれに目を通しながら
神妙に聞いている
その後私たちにも医師から質問があって、
別々に入院の説明を受ける
明日また手続きに来るようにとのこと

帰りは4時半ごろタクシーで△△駅へ
まだ始発が動いていないため、
マックでカフェモカ飲んで
5時半の電車で(警察署最寄りの)○○○駅へ
車に乗りかえ家へ
疲れたーーーーー
2時間ほどベッドで目をつぶり、起きる

昼頃また病院へ
○○よ、落ち着きますように

―――――――――――――――――――――――――――
 

訪ねた施設や機関の
どこにも相手にされず、
行き場を失いかけていた私たち家族。



ですが、
不本意ながら父の措置入院によって
その結末を迎えました。



そんな形で入院するなら、
もっと早く精神科にかかれば良かった
と思いますし、




そうすれば私たちもこんなに
怖い思いをせずに済んだかもとおもいます。




でも皮肉なようですが、
ここまで重い症状が出たことで
私たちが家で見守りをする必要も
なくなったのでした。





そしてはからずも
そのわずか数日後に東日本大震災が
発生したため、




もしその後だったら・・・とか考えると、






タイミングも絶妙だった
と言えるのかもしれません。。




<続きます>