こちらでは、病気になった患者の家族という立場から、その闘病生活についてお伝えしています。
同じような、親や兄弟に患者さんがいる方に向けて、その心にほんの少しでも寄り添えるブログになればと思い、書いております。


前回のこちらの記事からの続きです。
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(母の記録より)

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2010年6月22日(火)

寝てる
水枕じゃなくて普通の枕になってる
足がベッドから外に出てて行儀悪い
途中で目をあけてぽーっとしてたけど、
たまに正気のようになる
(パチパチしたり、目すんごい見開いたり)


6月23日(水)
診断書(会社用)の申し込みをする
意識障害は、水頭症が原因の人もいるので
昨日背中から水を抜いて
様子を見ているところ
あとは少しずつリハビリしていく
時々目は開くが
焦点が定まっているんだか、、
すぐ眠ってしまう・・・
午前中だからかな・・・・・


6月24日(木)

下痢も熱もおさまっているよう
今日は寝ていることが多いそうだ
朝リハビリでベッドの上に座ることを
始めたらしい
でも意識は朦朧としているため
あまり上手く出来なかったらしい
今日はホントにずーっと
眠りっぱなし


6月25日(金)

来たら寝てる
一回片目開けたけどまた寝て、
その後少ししたら
あくびとともに起きた
でもまたすぐ寝る
痰とってもらったら
その後○ちゃんがお昼のお薬を
入れにきてくれた

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そうそう、↑の
○ちゃん
というのは、私の小、中、高の同級生で
めちゃくちゃ頭よくて優しくて、
憧れの子だったんです。


その子がなんと、父の入院先で
しかも数多(あまた)ある科のなかで
同じフロアで看護師さんをしていたのです。


この病院はほんとに
知り合いが多いというか、、
搬送時に駆けつけたときの
受付の職員さんも
高校の同級生。

さらに
入院中には、
義理の親戚が入院していたという
高校の担任の先生、
そして幼馴染みにも
バッタリ会うことがありました。

うかうか、
ショボくれて落ち込んで
病院の周りを歩くなんてしたら、
誰に見られてるか・・・
そんな感じでした。


引き続き、記録に戻ります



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6月26日(土)

今日はベッドの角度が45℃くらい
起きてるみたいだけど
薄目を開けている程度
看護師さんに髭を剃ってもらっていた

★先生の話
月曜に脳血管撮影
カテーテル検査をする
下痢がおさまったら食事へ

最悪はこのまま意識障害つづき
寝たきり
目指すところは
車イスでの移動、ご飯は自分で

とても良い例で
自力で歩くところまで
★(ここまで)

6月27日(日)
今日もまず眠っている
目をあけたけどボーッとしていて
何も反応しない
何を話しかけても
聞こえていないかのようだった
今日もがっかりだった
明日の検査の為の点滴が
なかなか入らず、看護師さん苦労している
「イタイ イタイ」は言う


6月28日(月)

今日は夜○(私)と来る 
眠っている
足は動きます


6月29日(火)

最初はいつも通り寝てる
サンダルがベッドの下に置いてある
ほっぺぐりぐりしたら
口閉じてぶーって突きだしたり 
もぐもぐしたり
その後目が覚め(自分の咳で)
今日はベッドの角度をちょっとつけてた
その後また寝る

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「イタイ」が言えるなら、
他の言葉もあっという間に
言えるようになる!
と思っていました。


上に書いたように、
先生はこの時
「目指すところは、車イス
ご飯は自分でたべる
とても良い例で
自力で歩くところまで」
とおっしゃいました。

実際、現在は
「とても良い例」
の自力で歩くことが出来ています。



しかしそれは飽くまで

身体能力のみの
回復を目指していた

ということに、
当時は気付きませんでした。


よく、
半身マヒが残っている
などということが
あると思います。


もちろんそれも
大変な状況だと思うのです。


でもそういった
身体への後遺症が出なければ
問題がないのかというと、

そうではないのです。


頭(脳)は全てを司ります。

体の動きもですが、
長期的な記憶、短期的な記憶

そして
感情のコントロール。


このどれもが一つでも
欠けてしまうと、
本人にとってもですが

家族にとっても
結構大変なのです。




またこのことについては
追い追い書くことになります。



<続きます>