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 お金の縛りが無かったら、何をしたいのか?

 

 この質問は、夢マップを作るときの『肝(きも)』みたいなもの。

 

 

 生まれてから、ずーっと偏った教育を受けてきたものだから、その中に入り浸(びた)っている。

 

 よく、『お金がたくさん入ってくる人は、その分、世の中の役に立っているから』とも言われるけれど、そう考えると、今のひろしは『自分のことしか考えていない』からお金に悩まされ続けているのか。

 

 今の仕事が、今月一杯なので、次の仕事を探しているんだけど、考えることは『この仕事をすると月にいくら貰(もら)えるか』ということだけ。

 

 自分がそのカイシャで仕事をすることによって、世の中にどう貢献できるか、なんて考えちゃいない。

 

 で、では、その仕事の時給はというと違っても『多くても200円』だ。

 

 仮に時給1,600円と時給1,800円としよう。

 

 東京のハケンで時給1,600円は今どき『安い』方に入る。

 

 時給1,800円だとちょっといい方か。

 

 その差、200円。

 

 では、月換算すると『200円×1日8時間労働×ひと月20日勤務』だから『3万2千円』と出てくる。

 

 時給1,600円の仕事と1,800円の仕事だと月に3万2千円、給料が違うわけ。

 

(ただ、ここに税金や社会保険料が加算されるから、まるまる手取りが3万2千円増えるわけではないが)

 

 そんなことばかり考える毎日。

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 ところで、ここ数年よく言われる『働き方改革』だが、ひろしに言わせりゃ『働かせ方改革』だろう。

 

 子育て世代には『育休』が当たり前になり、『男性も育休を取れる』というカイシャも出てきて、こうすれば福利厚生がよい、というのだとか。

 

 とはいえ、なぜ、そこまでして『仕事と結び付けられなければ』ならないのか。

 

 ちょっとでも隙間時間があったら、無理矢理そこに労働をあてがってやれ、と言わんばかりだ。

 

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 電車の大混雑の時間帯は避けて通勤をしろ、とか言うけれど、ほとんどが朝から夕方までの8時間の昼の仕事なら、混雑する時間なんて『朝』と『夕方』に決まってるじゃないか。

 

 家電メーカーが『家族との時間を作るために』という名目で『食器洗浄器』や『ドラム式乾燥器付き洗濯機』を勧め、自動車メーカーは家族で乗れる『ミニバン』を勧め、住宅メーカーは『家族との団欒ができる』とか『自分らしい生活』ができるような家の演出に一生懸命だ。

 

 自動車は50年前の家族向けの車は、セダン(4つドアがある乗用車)が主流で、これがしばらくするとツーリングワゴン(後ろのトランクがハッチバックタイプ)になり、これがしばらくするとRV(ジープのデカイヤツ)になり、ワンボックスになり、今はミニバンが主流か。

 が、これらを買った瞬間にローンレンジャーとなり、家族との団欒、自分らしさどころかその支払のために金策を始終考え、支払日前日は口座の残高を気にし、そのために前倒しで残業を無理にするか、カイシャが終わった後や土日祝日にバイトにでも行く必要に迫られる。

 

 新しいモノは購入でき、家事の負担は減るかもしれないし『自分らしい家』かもしれないが『家』は『寝に帰る』だけの『場所』と化し、その分お金を稼ぐために翻弄される。

 

 それらを買ったはいいけど、果たして目的の『幸せ』は訪れたのか。

 

 家事は楽になったかもしれないが、その分、仕事に朝早く出掛け、夜は遅くまで働くことに迫られる。

 

 子どもを保育園、幼稚園、保育所に預けるために家をより早く出て、別れを惜しんで泣き叫ぶ子どもを適当にアシラッて職場に向かい、母親といるべき何時間もの間子どもは家族以外の『誰か』に預けられ、子どもは寂しさを紛らわせる『その他大勢』の保育士(昔は保母さん)と、同じような境遇の同僚(子どもたち)と遊ばされ、これらの母親代わりに騙されながらも夕方のお父さんか、お母さんのお迎えまで過ごす。

 

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 本来、何のための家電製品、自動車、家なんだ。

 

 昔は『家電の三種の神器(じんぎ)』ということで『冷蔵庫』『洗濯機』『エアコン』があったけど、結局、人々は、これを買い、支払うために『よりたくさん働く必要に迫られ』た。

 

 そして、それらが揃ったころを見計らって『次の製品』が世の中に登場し、再び『これが揃えばよい良い生活が待っている』という宣伝文句で購買心を煽られる。

 

 もっと便利に大きくなった『冷蔵庫』(以前は400リットルなんてのは超巨大冷蔵庫だったが、最近は600リットルなんてのもある(高さは2m近く、重さは100kgを超える))、脱水は当たり前で乾燥まで行ってくれる『洗濯機』、家のどこに誰がいるかまで把握して冷暖房をする『エアコン』(しかも家の外から操作もできて、帰ってくる時間に合わせて家の温度を整えておいてくれる)。

 

 便利にはなったし、至れりつくせりであるし、機械ができる仕事は機械に任せたわけだが、さっきも書いたが、それを手に入れて『幸せ』にはなったか。

 

 家族の団欒は訪れたのか。家族の関係は良くなったのか。

 

 いや、いや、いつになったら『団欒』ができるのか。

 

 で、そして、購買心を煽る『家電』『車』『家』だが、それ以外にいつも思うのは『なぜ、労働は相も変わらず一日8時間なのか』なのだ。

 

 電気製品でさえ性能が良くなっているのに、人間の労働時間はまったく良くなっていない。

 

 機械が代わりにやってくれているのではないか、ということ。

 

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 よく日本人の給料が30年間変わらない、とは言われて賃金ばかりが取り沙汰されるが、労働時間はほとんど、あまり日の目をみない。

 

 労働時間こそ、50年以上も変わっていないんじゃないか?

 

 人間が楽ができるように機械にやらせているんじゃないか?

 

 50年前は一日6時間とか、7時間くらいだったようだが(平日が朝8時~夕方4時過ぎくらい?、土曜日は午前中だけ)、『日本人は働き過ぎだ』と海外から批判が出て週休2日になったものの、土曜日の出社はなくなったが、平日の勤務時間は延びた。

 

 一時期、労働時間短縮が流行ったが、記憶にあるのは今から30年前くらいで、それ以降、労働時間を短くするようなことへの取り組みは聞かない。

 

 今から30年位前にパソコンが一般的に普及し出し、これまで手書きでやってきたことが機械でできるようになった。

 

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 多くの部分が機械でできるようになった。

 

 ひろしの勤めている電力会社も、機械のお陰でこれまで各家庭の電気メーターを検針して行っていた電気代の請求は、『スマートメーター』という端末に変わり、30分に1回という頻度で電気の検針データーを電波で送ってくる。

 

 それをコンピューターで処理をしているので『出向いて検針』という作業がほとんどなくなった。

 

 加えて、電気料金の複雑な計算も(100Vとか200Vとかの電圧、15Aとか30Aとかの基本電力量などの違いによる)ほとんどが機械で行っている。

 

 つまり、『検針作業』『検針の結果を電力会社に報告(データー入力)する作業』『検針データを元に電気代を精算する作業』『納付書を作成し電気代を請求する作業』という人が行っていた作業をコンピューターが行っているわけ。

 

 膨大な量の作業が削減で来たわけだ。

 

 にも関わらず、そこの従業員の働く時間は相も変わらず8時間(ひろしの職場では7時間40分)だ。

 

 (稀に『スマートメーターへの交換は絶対に同意できません!!!』という方がおられるので、そういうお宅へは検針に行きます。というよりアナログ電気メーターから『スマメ(スマートメーターの電力会社での略称)』への交換を拒否できること自体が知られていない。電力会社が『交換しますねー』と言えば、ほとんどは何の疑問も持たずに『はい、お願いします』と交換に同意してしまっているのではないか)

 

 機械でやる分、人間は楽になっているのだから、その分、楽をしていいはずなのに相変わらず8時間労働が強要されている。

 

 機械に代わりにやらせて効率を図っているのだから、8時間より少なく働いても8時間分の給料を受取れるはずなのに。

 

 ある高名な学者によると『世界中の仕事は一日4時間で良い』そうだ。

 

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 本当にそう思うのだが、払う給料はこれ以上上げられないなら労働時間を半分の4時間にすれば『給料は倍になった』と言えるだが、そうはさせないようだ(誰が?)。

 

 家電製品、自動車、家など含めて世の中に出回る商品のほとんど、大体のモノは『性能が多少良くなったくらい』だ。

 

 今の生活を経験し、30年前に戻ったとして、どうしても無くては困るものなんて、ない、と断言してもいいくらいだ。

 

 携帯電話だって、毎年出てくる新製品は、カメラ機能が良くなるくらいで、電話本来の役割の機能は前の機種と同じと言えよう。

 

 これを豊か、というのかもしれないが、『現代の生活を体験して、仮に30年前に戻ったとき、絶対に必要なモノ』をひろしが考えに考え抜いて出た結果は『洗浄機能付き便座』くらいだった。

 

(夜も更けてきたので、続く)