郵便の不在通知に気づかずにいたので、いつ届いたのかわからず、追跡番号もわからないから、近所の郵便局に行った。
郵便局に入ったらすぐ、私がまだ何も言わないうちに、持っていた二つ折りの紙を見てだと思うけど、郵便局の人がすぐ声をかけてくれて、再配達の手続きをしてくれた。
とても丁寧に対応してくれて、お見送りまでしてくれて。
本当にありがたく、嬉しい気持ちになった。

 そんなエピソードもあったし、受け取れるようになってきたなーなんて思ってたらふと、コロナ始まりの混乱の時期に、アメリカをキャンピングカーで旅したときのことを思い出した。
私を含めて8人で旅をして、イギリス人とアメリカ人の英語の先生もいて、日本人だけじゃなかったから、英語がいっぱいの日々だった。
それで、幾つかの州をキャンピングカーで走ってたんだけど、車の中でお料理をして食べたりしてたから買い物もしていて、あるときウォルマートで買い物してたら、お店にいる間にめっちゃ豪雨になって、みんなでどうやって車に荷物を運ぶか話し合ってた。
できるだけお店の近くまで車を持ってきて、お店のギリギリから順番に荷物を大急ぎで入れることになったんだけど、私がまず最初に運ばれた。
しかも、濡れないようにボーシまで貸してくれて。後で貸してくれた人は濡れちゃうのに。
私はそのとき、自分は何も役割ができてないなあとか、みんな濡れちゃったのに私はこんなに安全に運ばれて、みんながやってるのを見てるだけで、申し訳ない、どうしたらいいんだろう、なんかどう存在してたらいいのかなってもじもじするなあって思ってた。
それをさっき思い出した。


私は大切にされていることを受け取れず、ただ自分を責めたり、申し訳ないって思うことで、何だろう自分の居心地の悪さを軽減させようとしていた。
そんな感じだったなあって。今責めるわけじゃないけど、私は自分のことしか見えてない感じだった。


 今気づいていることは、私はずっと大切にされていたし、そんな風に大切にされたときは、遠慮せず受け取ればいいんだってこと。ありがとうって伝えながらね。
申し訳ないだとか遠慮だとか変な風にするんじゃなくて、ちゃんと受け取ることが、相手を大切にすることなんだろうってこと。


 大切にするって、誰かに何かをすることとか、こういうことだって、こうであるべきだって思う範囲内だけって思っちゃうけど、色んな大切にするやりかたがあるんだね。
また少し視野が広がった。