先日、我が故郷である宮崎県出身者が移民した後、
ここブラジルで自治会的な役割を果たしてきた「宮崎県人会」に挨拶に行って参りました!!
1908年に第一回移民がブラジルに入植した後、各出身者でコミュニティーを組織し、
100年以上過ぎた後も、日系人の拠り所となっている。
現在はこの組織も高齢化を迎えている。
*ブラジルの県人会連合会http://www.kenren.org.br/index.php?m=01
朝、8時、和太鼓指導でブラジルに赴任した宮崎出身の大先生とともに、県人会の門をたたく。
この日はサンパウロ市内で行われる「日本祭り」の初日で婦人会の方々が牛丼と肉巻きおにぎりの
たれを大量に準備されていた。
たれが包まれた風呂敷のメモ書き「金曜日にもってゆく。」
この「もってゆく・・・」
いとをかし。
「うどんをたべなさい。」「見なさい。」
昭和のかほりがしながらも次々に県人会の訪れる日系人の方々の握手の手。
そして、言葉のあちこちに挟まるポルトゲース。
確かにここに溶け込んでいる和。そして、日系人文化。
そして、地球の裏側にある「宮崎」を確かに感じた。
ほのかに残る宮崎弁、薩摩弁〔私の出身の都城は旧島津藩のため、薩摩文化圏)、宮崎の心。
↑高千穂の神楽面!
東国原前知事や県庁関係者や霧島酒造(あの焼酎の)一行様がブジラルを訪問し、日系人の方々とのつながりがあることに驚き、そしてうれしくもあった。が、しかし、行政、経済界での交流はあっても、「民」の繋がりがないことは残念!これは何とか私はその役目を担いたい!!とも思っている。
週末、日本祭りに行く予定だったが、久しぶりの熱に襲われて、ダウンしてしまったためにいけなかった・・・
健康第一でこの国で暮らしたい。






