大慶寺(たいけいじ)
 東国花の寺100ヶ寺のひとつボタン寺として近隣にも知られ、花期には150種約3000株が次々に花開いて豪華絢爛なボタン園(花期は有料)となります。
 寺は、源義平の妻となった新田義重の娘が、平冶の乱に敗れた義平を尾島町に清泉寺を創建して葬った事に始まります。後に義重の娘は綿打郷に移り、妙満尼と称して当地に庵を結びました。その後、庵の跡は新田一族の綿打氏が館としましたが、天徳5年(1394)足利鶏足寺より空覚上人を招請し、妙満尼の旧跡に大慶寺を再建したものと言います。
 境内には、山門・不動堂・本堂・庫裏・鐘楼などがあります。