私は息子と一緒に生活が出来る事が嬉しかった。
でも、まだ投薬はかなりの量を飲んでいた。夜の安定剤はセロクエル400gもっとあったかな🤭この量は夜中ミルクをあげる事が出来ないレベルの量。立てないし、起きれたとしても危険を伴う。

私の母、主人の母が夜は交代で育児を協力してくれた。

運動不足と筋肉がないせいで日中よく泣く息子を抱っこする回数が多くて、私も泣きながら『重いよー』と言っていた(笑)娘の時は赤ちゃんが重いなんか思わなかった。多分何年も引きこもって。さらに入院していたから体力なさ過ぎたのだろう。

もう、二度と入院するなんてないと思っていたのに、この後3回入院する事になる。閉鎖病棟ではなく開放病棟。

二か月おきにいきなり脈拍数が上がり、常に走っている状態、身体が痙攣に近い程で倒れた。

3回目の入院の時に、当時出されていた抗うつ剤の【パキシル】のせいだと判明。
パキシルは急には止める事が出来ない薬。血中濃度を下げて徐々に抜いていかなければならない。

3回目の入院は3週間だった。かなり苦しかった。減薬の時熱が37.5度位がずっと続き、食べれないし、身体が風邪引いたみたいでフラフラ。食欲もなくてこんな危険を伴う薬もあるんだと、薬の怖さを体験した。

完全に薬を抜ききった時に、先生は別の薬にすると言ったが、私は拒否した。

もう、薬全部抜こう。。そう心に決めた。

抗うつ剤の他に飲んでいた安定剤も自分で徐々に減らして全て抜いた。

飲まなくなって、逆に調子良かった。
息子が1歳になる前には完全に治ったのだ。
薬もいらない、毎日が幸せで、私は服屋のパートもした。

治してくれたのは、息子なのかな、、。とも思える。
立派な親になりたい、この子を育てたい!と強く思う気持ちと、医師を含め家族のおかげでもある。