『平和』とは何かを深掘り追求した先にみえた世界が
『ワンネス』(利他意識、無償の愛、人類皆兄妹)だった
それは、小さい頃に
神様から聞いた
『寂しく感じなくていい。近所の人達を家族と思えればいいじゃない?』
という言葉が大人になって『ワンネス』という言葉に繋がったのだ
小さいときの私のそばにはいつも神様がいて、
一人で過ごす時間が多いなかで会話が猫と神様、それから、もう一人の自分と御先祖様。
『平和』を祈るあまりに
『平和』とは何かを深掘りしてみた。
例えば、
この世から犯罪がなくなれば平和になるのか。
戦争がなくなれば平和になるのか
『時代は繰り返される』
なぜ、繰り返されるのか。
私のなかの『無邪気な私』が言う。
『どうして?戦争をするの?しなきゃいけないの?誰が幸せになるの?誰のために命を犠牲にするの?』
『どうして?宗教が違うと争いになるの?みんな、幸せをゴールにしてるのに、みんな同じ方向みてるのに、どうして仲良くできないの?』
『戦争を目の前にして、誰が悪いとか悪くないとかの問題じゃないのにどうして、みんなで傍観者になってるの?』
『地球は借り物なのに、どうして、人間は偉そうに我が物顔でいるの?』
相対するルールのなかで
●悲しみがあり、苦しみがある
だから、喜びがあり嬉しさがある。
●嫌なこと、嫌な人、嫌な出来事があるから、
嬉しいこと、嬉しい人、嬉しい出来事がある。
●『嫌なこと』があるから、
より、強く『嬉しいこと』がクローズアップされやすく、気付き易くなる。
●『悲しみ』があったからこそ
そばにいる存在の有り難みを強く感じたりもする。
●衣食住に困った経験があるから
ご飯1粒も残さず食べる
●苦しさを経験するから、
苦しさに寄り添える
●擦り傷がいっぱいありながら、自分で癒してこれたから、人を癒すことが出来るように
そんな風に、必ずしも
『悪いこと』=悪
ではないと感じた。
『悪』があるからこそ
クローズアップされる光がある。
悪い人がいたからこそ、
『気付き』をたくさん得ることができた。
悪いことがあったから
『見直す』ことができた
戦争があったから
医療が発達したのだと思う
戦争があったから
『平和』な国になった
もし、戦争を失くす手段として
私が行き着いた考えはただ1つ
一人一人に『心の余裕の種』を蒔くこと
誰かを貶めるわけでもなく、卑屈になるわけでもなく、ただ単純に『今の状態を受け入れる』
人の裏をかくでもなく
ありのままを受け入れ
『ありがとう』と笑顔で返す
自分が何にコンプレックスを抱いているかなんて自分が勝手に感じているだけで
相手には関係ないということ。を知る
賢いふりして、相手の裏をかいて
『あの人こんなこと言って、実は○○と思ってるんでしょう?』とネガティブ発想して、一人で卑屈になってイライラ(-'д-)y-
自分への『信頼』のなさが影響して、卑屈になり、次第に目つきも悪くなる
『相手の言葉』より、
『自分の中の妄想』が正しいと思いたい。
それが、悲しいことであろうとも悲しい結末を招こうとも『自分が正しい!!』と思いたい。
ただ、それだけのために、
人と人とで衝突し、炎上する。
または人が離れて孤立する
誰かと争いになり、怪我をする
関係のない人を傷つける
誰もが正しく、誰もが間違っている。
誰もが正義であり、誰もが悪である。
この世に
たった1つの正解や、
たった1つの不正解があるとしたら
なにがあるだろう?
全ては繋がっていて
一人一人の『自分』の心の余裕1つで
世界は『笑顔』になる。
私は本気でそう思っている( *´艸`)
だから、今日も
一人一人に『心の余裕の種』を蒔きにいってきます( *´艸`)