こんにちは
satomiです。
![花](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/663.png)
アメブロを読んでいると、家族関係、特に母親との関係のお話をよく見ます。
私、両親のこと好きだよなぁ
好きだけど、もしかしたら親子の問題を抱えてたりするんだろうか?って自分を疑ってみることにしました。
うちはいたって平凡な家庭で、家族仲もいいし、
家族問題はないと思い込んでいたけど…
ほんとにそうなのかな![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/595.png)
![真顔](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/595.png)
実は違うかもしれないんじゃない?
もしかして、そんなに大きな問題がなかったなら気付かないでいただけかもしれない
私が見ようとしていないだけかもしれない
なので、両親について思いつくまま書いてみます。
何事も実験ですね!
小さい頃酔った父が嫌いだった。
待って。しょっぱな出てきたのこれ?
やばい予感しかしない
孫が産まれてからは断酒している父だけど、昔は大酒飲みだった。アルコール中毒だった。
お酒を飲んでいない真面目で優しい父は大好きだけど、飲むと気が大きくなり人格が正反対に変わってしまう父が大嫌いだった
暴力は絶対にしないけど大声で母を怒鳴る。
大好きと大嫌いが混在する感情だった
しらふの父は大好き、酔った父は大嫌い
幼い頃にこんな気持ちを持つって…
こうして書くとなんだか問題山積みじゃない?![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
![驚き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/619.png)
その父の怒鳴り声を黙って聞いている母親が嫌いだった。
父をヒートアップさせないためだったかもしれないけれど、その姿を見ると胸が苦しかった
偉そうに女性を見下す男性が嫌いなのはこれが原因かもしれない。
ベロンベロンに酔っ払う父も、その世話を焼く母も嫌だった
いつもと違う父を見るのが悲しかった
情けなかった
そんな父の言いなりになる母への怒りをずっと持っていた気がする。
男性の二面性を感じると怒りが湧いてくるのは、
いいなりの母の姿を思い出すからなのかも。
両親とも、子どもの前では喧嘩しないようにしていたけど、怒鳴り声は大きいから家の中どこにいても聞こえるし覗くと姿も見えてしまう。
母を見て、女の人は我慢しなければいけないのかと感じてた
理不尽に耐えなければいけないのか
自分の気持ちを伝えることは危ないことなのか
どうしてケンカするのか聞いたことがあった。
喧嘩するほど仲がいいのよって言ってた。
あれ?
そういえば、私が幼馴染とケンカするたびにこのセリフを言われてた気がする
え?もしかして私が友達作りに関して消極的だったのって、このセリフが概念としてあったんじゃない??
仲がいいと喧嘩してしまうなら仲良くなりたくないって、そう思い込んでたの?
…なくもない。アリエール。
え?だから長く付き合った彼たちとも仲良くなってくると喧嘩勃発しまくってたの?
喧嘩するほど仲がいいんだと思い込んでたから無意識に喧嘩売ってたのかしら…
ああ、大いにありえる。
なんで母は幼い私をひねくれてるとか
あまのじゃくだとか
強情っぱりとか
何度も何度も言ってきたんだろう
ある程度大きくなってからも、言い方がキツイねえと言われてた。
私は癇癪持ちだったかもしれないけど、なんでわかってくれないんだろうって強く思ってた記憶がある
なるほど、それでキツイ私は受け入れてもらえないんだと刻み込んだんだね。
で、パートナーと仲良くなる
↓
仲良いほど喧嘩する
↓
私ってめっちゃキツイ性格らしい
↓
だから受け入れてもらえないんでしょどうせ!と拗ねる
↓
彼ドン引き
↓
仲直りしてもお互いに積もり積もっていく。
これを繰り返すんだもん、うまくいかないわね。
しかも大人になって経験を積んできたら、今度は逆に、ひねくれたらいけない!強がったらいけない!
うまくいかなくなるよ!って押さえ込んで否定するようになってたよ。
思い込みの力ってすごい。
母は怒鳴られて黙り込んでる時以外はいつも明るくて元気でごはんもしっかり作って育ててくれた。
私を信じて全てを私に任せていた子育てだったと思っていたけど、実は放任されていたのかもと思う。
そういえば最低限のしつけだった
しつけとして教わった記憶は、物の使い方、渡し方、受け取り方しか覚えていない
めちゃくちゃ怒られた記憶も石投げ遊びをして向かいの家のガラスを割った時くらい
幼稚園の頃から1人で遊びに行って何時に帰っても何も言われなかったし
小さな頃は暗くなったら帰っていたからかもだけど
思春期、毎日遅くまで遊んでたけど何も言われなかった
高三の頃彼氏の家にいりびたっていたのに、それも何も言わなかった
卒業してすぐその彼と同棲をすると言い出した時も。
元夫にDVされていると打ち明けた時も
別れたら?とも逃げなさいとも言ってくれなかった
離婚すると伝えた時は、どうしても別れないといけないの?子どもがいるんだよ。
と言われたねそういえば。
でももう無理なんだ。と伝えたけど
これってもしかして母として健全な対応ではないんじゃない?
私がDVされてるって、忘れてたん?
それともわかっていながら我慢しないのか言ってきたってこと?
私の決めたことに強く反対したことはない。
でもそれって尊重して自由にしてくれてるようにも見えて、ただのほったらかしにも見える
ほんとは昔から、母が好きなのに嫌悪の気持ちもあった。
なんだこの人と思ってたわそういえば。
可愛がられてはいたし愛されてはいたけど、どこかで私を見てくれていないと感じる気持ちもあったな
なんだ、実は問題家庭だったのか。
私の中の苛立ちの元は家庭にあったのか。
知りたくなかった
これを認めるって、自分の深いところ、核の部分の修正になる気がする。
でもこうして気づいて認めて楽に生きるためにこの気持ち上がってきたのかな
だとしたらありがたいことだ。
人生ってほんとにうまくできてる。
すごいワ![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
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