そもそも不安という感情は

「でっちあげ」であることが多い。

実態はないのに妄想でつくりあげたモンスターに

怯えているのに似ているし

そのでっち上げモンスターに対して

シャドウボクシングしているのにも似ている。

(笑)

想像力ゆたかな実生活アーテイストさんほど

生み出した架空モンスターは数知れんのでは、と思います。

架空モンスターに打ち勝つためにヨガを始めた人も

少なくないかも知れません。

 

その上、不安という感情は

実は身体上で起きていることであったりします。

精神的に弱いから不安に陥るーーというのは

ひどい解釈だわと思います。

不安なときに緊張する筋肉や臓器があるのだけれど、

不安がクセになっちゃった場合、そこが硬くなってしまってる

その筋肉をほどいたり臓器を刺激することで

不安が軽くなりますし、

何より「不安」が身体に固定化する前に

緊張をほどいてやわらげるのが大切なんですね。

精神的に、ではなくて、身体的に

解決できるんです。

 

なんとなくの未来への不安を抱えている人

自分にダメ出しをする自分にダメ出しをして不安を膨らませる人

いつかダメな自分がバレることを不安に思っている人

愛される資格がないのではと不安になる人

母親としての自分を不安に思う人

周りの影響ですぐに不安が感染する人

 

不安モンスターをやっつける前に

自分の感情感覚に寄り添ってみましょう。

モンスターと友達になれたら新しい毎日が始まるかもしれませんね。

3月21日(木)春分の日、お待ちしています。

お申込み・お問い合わせはHPのお問い合わせフォームから

http://yoga-fine.jp

どんな悩みも

考えすぎが一番いかんとです。

(先日、友人が遊びに来て鹿児島弁うつりました

でもヨガをすると、なんくるないさ~

(どってことないさ~うまくいくさ~の意。沖縄にも友人多し)

とさっきまでの悩みがきれいに消えてしまうことがあります。

 

なぜでしょう?

 

ゲシュタルト心理学では人には三つの意識があると言います。

一つ目の意識 五感(見・聞・触・嗅・味)

二つ目の意識 思考(言葉)

三つ目の意識 身体の感覚(感情)

 

悩みにどっぷりはまっているというのは

二つ目の意識<思考>だけを偏って使いすぎているということ。

<思考>は言葉で出来ているので、深い悩みほど

頭の中をあーでもない、こーでもないと

いろんなフレーズや単語がぐるぐる回っています。。

意識を<思考>から離すためには、

一つ目の意識の<五感>や三つ目の意識の<身体の感覚>

高めることです。

 

たとえばうちのスタジオで

アロマの香りを嗅ぎながら(五感)

ヒーリングミュージックを聴きながら(五感)

インストラクターの動きを目で見ながら(五感)

自分の筋肉の状態と(身体の感覚)

汗が身体をつたう様子と(身体の感覚)

身体の内部の感覚を感じながら動く(身体の感覚)

という一連は

悩みからあなたを引き離すに十分なファクターが揃っているということです。

 

私も悩んでいる時に、スタジオで太陽礼拝を一回しただけで

心の霧が晴れた!という体験を1000回はしています。

 

では、感情はどうでしょう?

ヨガをしていると、たしかに感情の波がゆるやかになります。

 

多くの人が感情を言葉で理解しようとしていますが、

実は感情は言葉にならない身体の感覚です。

ゆるゆるふわふわすっきり

などの心地よい感覚もありますが

時としてきゅうきゅうヒリヒリだるだる

などの感覚がやって来て それが

凝り張りや痛みとして表面化します。

 

もともとヨガは三つ目の<身体の感覚>に意識を向けるものなので

凝りや張りや痛みをなくしていくことで

感情の波も穏やかになっていきます。

 

でも出来たら、不安や怒りといったネガティブな感情は

ヨガで<身体の感覚>を意識し

また音や自然や香りなどの<五感>も使い

そして少し<思考>をつかうことも必要になります。

 

各感情のミッションを知り、その感情に寄り添い受け入れる方法を知る

ーーーーというのが思考を使うことですが、

 

3月に不安に絞ったWSをします。

上記のように、身体の感覚=感情 という方向に沿って考えると

不安も 身体の感覚であり、

心配症などというのも体質だと考えます。

アレルギー体質や肥満体質やむくみ体質と同じように

不安体質も必要なポーズと、

体質改善のために必要なライフプランが

あるのです。

 

そう考えると身体っておもしろい。心っておもしろい

とつくづく思うのです。

 

 

原始仏典の中にこんなお話があります。

 

ある都の王様が、生まれつき盲目の人たちを集めて、

象を触らせて感想を聞きました。

象の鼻を触った人は

「スキ(農具)の柄のようです」と言い、

象の足を触った人は「石柱のようなものです」

と言いました。

そして象のしっぽを触った人は

「ほうきのようなものです」と答えました。

ほかの部分を触った人たちも、

めいめいに「象とはこんなものだ」を口々に主張し、

とうとう殴り合いの喧嘩になってしまいました。

 

 

つまり、人間というのは一部しか見ていない

―――立っている場所も、見ているものもまったく違うーーー

にもかかわらず、すべてを理解した気になって

「自分は正しい」と思い込んでいる、というお話です。

 

 

 

 

肝に銘じたいですね、

100人いたら100通りの考え方、見方、感じ方があることを。