今日は

 

自分の今までに残してきた言葉たちに

 

とても救われた日。

 

 

 

今、世界の人々は見えない恐怖に

 

立ち向かっている。

 

昔からそうだけど、私はその空気を敏感に感じやすい。

 

自分ではそこまで気にしていないつもりでも

 

夢でうなされたり、

 

なんだか心が沈んでしまって元気が出なかったり・・・

 

 

 

 

大好きな海外にも行くに行けない現状。

 

でも、ここ数年、外にばかり向けてきた視点を

 

自分に向けるための期間なんだと捉えたいと思う。

 

 

 

 

なぜか最近やたらと耳に入ってくる

 

『もっと自分に自信を持ちましょう』

 

というワード。

 

 

 

内心、「、、持ってないわけないけど?」

 

と思っていたが、でも実際は少し違っていた。

 

 

 

・・・やっぱりできない自分

 

・・・何かが足りない自分

 

そんな風に思って自分をどこかで否定していた。

 

 

 

誰と比べても意味がないことなんてわかっていたはずなのに。

 

たとえ自分で欠けていると思うところでさえも

 

大切な自分の一部だということをすっかり忘れていた。

 

 

 

私の中ですごいと思うことをやっている人はすごい人

 

できない自分はダメ。と知らずのうちにジャッジして

 

落ち込んで…(誰のためなんだろ)

 

 

 

 

何もない人なんていない。

 

特別じゃない人もいない。

 

人は皆、生まれながらに特別で唯一の存在。

 

 

 

 

自分自身に愛される資格があるし、

 

愛する人に愛される資格もある。

 

 

 

 

自分を好きになれない時は

 

きっと誰かの視点で自分を測ってる。

 

 

 

綺麗、可愛い

 

明るい、おとなしい

 

賢い、行動派

 

 

 

そのものさしに測れない自分はまるで「不正解だ」そんな風に。。

 

 

 

 

自分にとっての普通は

 

誰かにとっては特別なことの方が多い。

 

だから私たちは皆違うのだと思う。

 

 

 

全てがまるでクローンのように同じならば

 

誰かを求めることもなく

 

個が個としてだけ存在するだけの世界は

 

交わる瞬間(時)がなくただ存在し

 

面白味もなく、、

 

そして何より生きている意味がなくなってしまう。

 

 

 

人が人と関わることで生まれる

 

喜び、悲しみ、苦しさ、悔しさ、悩み、

愛しさ、幸福

 

それらが私たちに教えてくれるものは

 

生きているという実感・・・

 

なのかな。

 

 

 

私が私で良かったと

 

そう意識しなくなったのはいつからだろう?

 

今、そう心から思えているだろうか。

 

 

 

今思い浮かんだ人たちが

 

いてくれて良かった。

 

出会うことができて幸せだ。

 

そう心から感じるということは

 

やっぱり私は私で良かった。

 

 

 

自分に自信が持てているのかわからなくなった時に

 

『自分自身を愛する』

(Love Myself)

 

って毎日毎日確かめてあげる必要があるのかもしれない。

 

 

 

(毎朝起きて鏡を見て「どうしてこんなにかっこいいんだ?」

 って自分に問いかけるキムソクジン(BTS)のように。。

 BTSもオタクも最高だ!)