こんにちは。さくらです。
瞑想の集中トレーニング期間に入っています。
「瞑想」って何?
という方のために、瞑想のイメージを先にお伝えするとこんな感じ(↓)。
これはただポーズをとっているだけではなく、もっと深~い行為なのです。
はじめに、瞑想はいつからあるの?ということについて簡単にまとめてみます。
瞑想の起源はとても古く、なんと5000年以上前のインダス文明の遺跡にも遺されているそう。
インドの宗教(仏教など)やヨガでは、”人生のゴール・真の目的”のために瞑想を行ってきました。
仏教の修業に瞑想があることは有名ですね。
なので、「瞑想」と聞くと、「宗教の修業」ととらえる人もいると思います。
やっていること自体は同じなのですが、”人生のゴール・真の目的”が、仏教とヨガで異なるところです。
仏教では、”悟りを開く”ために、
ヨガでは、”自意識の罠から抜け、真の自分を知る”ために瞑想します。
この”自意識”とは、ヨガ哲学的な「自意識」です。
つまり、「自分の本質と自分でないものを混同してしまうこと」でしたね(詳しくはこちらの記事を参照↓)。
なので、仏教での”悟りを開くための修業”とは異なり、
ヨガ的な瞑想とは、”真の自分”を知っていく過程なのです。
”真の自分”とは、”永遠に変わらない、「私」の本質”でしたね。
この文章で読むとよくわからない”真の自分”を体感できるのが、瞑想です。
瞑想は、やり方はいろいろあるけれど、次の3つの要素があるといいます。
①心身ともにリラックスしていること
②思考で判断・評価をしていないこと
③感覚を純粋に感じ、ただ気付いていること(反応していない)
瞑想って、座って目を閉じているイメージが強いですが、
目を開けていても、座っていなくても、上の①②③が満たされていれば、
それは瞑想なんです。
①②③は、実際の例で説明したほうが分かりやすいので、
心の声をデモンストレーションしながら瞑想の流れを解説してみます。
例)
マットにあぐらで座る。
「ちょっとお尻痛くなるかも」
ブランケットを敷き、改めて座りなおす。
「落ち着こう」
呼吸を何度か繰り返し、心を静める(準備をする)。
~瞑想中~
「あ、冷蔵庫のあれ買うの忘れてた」(思考)
思考が出てきたので、”思考”と名付けて(ラベルを付けて)心の中から手放す。
(思考がラベリングされて心の中から消えていくイメージ)
「手を置く位置がちょっと違うかも」(感覚→思考)
手の感覚に注意を向け、思考を手放す。
(ただ手の感覚を感じ、思考をしない)
「背中が曲がってきた」(感覚)
→「自分猫背なんだよね~この癖直さないと」(思考)
思考を”思考”と名付けて手放し、(思考が心の中から消えていく)
背筋を正して座りなおす。
(背筋が伸びている感覚をただ感じる)
「あ、今日の嫌なこと思い出した」(思考)
→「いつも自分は失敗ばかり」(自己批判)
→「やっぱ自分はダメ」(自己批判・自己否定)
全ての思考・批判を”思考”や”判断”と名付け、手放す。
(嫌なことや、自分への判断が心の中から消える)
~瞑想終了の準備~
ゆっくり手足を動かし、身体の感覚に意識を向ける。
身体をほぐし、次の動作に移る。
~瞑想終了~
この例のようにスムーズにいけたらいいんですけどね。
途中で思考が巻き起こったり、家の中の雑音に気を取られたりすることは日常茶飯事です。
思考が起こること自体は自然なことで、”手放す”練習が瞑想なのです。
”思考”や”判断”から自由になり、
あるがままの”感覚”をただ感じているとき、
そこには”真の自己”があります。
瞑想はヨガの道のひとつで、練習を繰り返して”体得”していくもの。
「何かが得られる」ことを求めず、ただひたすら瞑想します。
今日も瞑想していきましょう♪