めぐみえんへの思い | めぐみえんスタッフのブログ

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里まちカフェめぐみえんカフェやマルシェの営業や農園や無肥料栽培の情報発信をするブログです。

みなさん


おはようございます。


めぐめいん 織田です。

昨日、荷物をすべて倉庫に移動し、めぐみえんの撤収作業もすべて完了しました。

今日は私が“めぐみえん”という共同事業でのコミニュケーションカフェというスタイルにこだわり、皆さんともにカフェを運営したのかということを少し長くなりますが書かせていただきたいと思います。

私は8年前、食道がんになり抗がん剤、15時間の大手術をそましたが5年間生存率20~30%との宣告を受けました。

当時私は三越名古屋栄店で勤務していましたが、仕事でのストレスがガンの大きな原因だったと気づき翌年、26年間勤めた㈱三越を辞めることにしました。

しかし退職しても、がんを煩い1年足らずの人を雇用してくれるところなんてあるはずもなく、またサラリーマンをやるのは選択肢にはなかったので転職ということは一切考えておらず、また起業といってもサラリーマンを長く続けていた結果、知識や人間関係も百貨店関連だけにとどまってしまっていたのでいきなりできるはずもなく、家内には2年間は新たな学びと、人間関係を作る時間とさせて欲しいとお願いしてもらいました。

そんなかなで、私が目指していたのが「自然食カフェ」でした。

私はガンになって以降、食をこれまでとは180度変え玄米菜食中心にしてきたことで、体も心も健康になってきていました。

そんな自分の経験、またサラリーマン時代も食品の惣菜担当が一番長かったのでこれらの経験を活かすためにカフェをやろうと思ったのです。

そして、退職後3つのマクロビオテックの料理教室に通い、また入会していたがん患者会で「がん治る食事」を監修していたエコロクッキングスクールの川越先生に学びたいということで玄米おむすびの会をつくり川越先生の料理教室を主催したりなどもしました。

また、サラリーマンをやめ時間はいくらでもあったので、どこかの自然食カフェでアルバイトしたいといくつかのカフェにお願いに行きましたが、40歳すぎのおっさんが自然食カフェでは少し無理があったようです()

でも、その時のご縁で「玄米食の店 のら」さん、や当時八事にあったコンガリカフェさんで健康講座やガンの講座をやらせてもらったりしました。

そんなことをしながら1年半くらいが経ったあたりから、カフェを始めるための準備や情報収集をしてみると結構な額の投資が必要になり、貯金も底をつき家内のヘルパー収入でなんとか生計を立てている状況だったので、銀行に融資の相談をしに行くと、癌を患ったことが理由で融資は不可能ということが分かったのです。

そう思って考えてみると再発したら半年の余命という現実の中での借金は家族の将来のことを考えるとありえないということがわかりました。

その時までは、カフェをやりたいばかりでそんなこと考えていなかったというのも、今思うとやっぱり私は自己中心的な考え方だったんですね。

今もか ()

そしてちょうど2年が経過した頃、患者会に属していたNPIO法人がんの患者学研究所の川竹代表から患者会会長の話を頂いたので、カフェは一時見送り患者会長として患者さんを支援する活動を始めたのです。

そして、患者会会長として全国を周りセミナーや患者さんの相談という活動をする中で、がんの原因は食事やライフスタイル、心などではあるが根っこの部分は経済成長優先で物質的な現代社会のあり方そのものではないかと思うようになりました。

勝ち組・負け組ができ皆必死に負け組にならないように必死にもがき苦しむ世の中。

そして、お年寄りや、障害をもった方、そして私たちのようなはからずとも体や心の病になってしまった人たちは社会的には役割を奪われ片隅に追いやられてしまうような時代になってしまったのです。

ならばどうすればいいのか?

以前の私が同じだったように経済成長の中心にいる人たちにはこれらのことは目に入ったり関心を持つ余裕もありません。

ならば、その枠外にいるお年寄り、障害を持った方、病を抱えた方、それにお子さんやお母さんといった社会的に弱者と言われている人たちでもうひとつの社会の仕組みを作る必要があるのではないかと思うようになりました。

とはいっても、私を含めこれらの人の資産は多くはありません。

しかし、体と時間という人間として自由になる資源は豊富にありました。

それをマンパワーとして集めていけばテレビの画面のように小さな点の集まりで素晴らしい映像をこの世の中に映し出すことができると思いました。

そしてまた、これらの人は「弱さ」を知っていることで人に優しい社会をつくることができる人なのです。

何もできない人間、必要とされない人間なんかいない。
それはがんになった自分を肯定することでもあったのです。

ならば、がん患者の私がやってやろう!

私がこんな妄想じみたことを思うようになりました。

そんな私のバカみたいに猪突猛進する行動の原動力となっているのは、患者会長時代に関わって命を落とした多くの患者さんたちです。

患者会では「生き方を変えればガンは治るし、再発もしない」ということを提唱し、私をはじめ生き方を変えたことで元気になった人や末期ガンが治ってしまった人もたくさんいました。

しかし、ほとんどの方が現在の経済成長を優先する社会なかから飛び出すことができず、もがき、苦しみ、絶望して命を落としていくのです。

特に私のような40代でがんになり生き方を大きく変えることができるはほとんどいません。

みな、家族のため、会社のため・、お金のため・・・・といって命を削っていくのです。

「このままでは命が縮むと分かっているが、家や車のローン、家族の生活ためにはこの状態を維持するしかないのだ」というような悲痛な叫びたくさん聞いてきました。

そう言われると、それでも生き方を変えろなんて言えるはずもなく「自分の無力感」を感じました。

だったら、「このようなことになってしまわない社会の仕組みを作らなければ」という妄想のようなことを考え、当時の全国組織の患者会をやめて、愛知を中心にして様々な活動をはじめたのです。

これまでやってきた、玄米おむすびの会、降りてゆく生き方、ノーマカフェ、自然栽培でのノーマ農園やめぐみ農場、めぐみの会、そしてこれらの要素、医・食・農・流通・協労・コミュニティーなどのすべてを包括しノーマルなイメージでコンセプトを作り営業を始めたのが「めぐみえん」だったのです。

そしてこれらはボランティアという依存によって成り立つものではなく、自立していかなければいけない。

それが私の中では「カフェ」でした。

しかし、結果は・・・・・・

この原因は、たぶんこれまで書いてきたような私の強すぎる思い、“我”だったと思います。

なので、カフェの閉店もなんとか回避できないか?


また次への道筋を立てなければ終われない。

そして、このまま知らぬ間にカフェが閉店してしまったのでは・・・・

そんなカフェへの執着で非難されることを覚悟してSMSで現状を暴露するといった行為に出てしまいました。

いまカフェを閉店して思い返せば、すべて私の我欲で始まり、我欲で終わったような気がします。

そんな私事に、これだけ多くの人を巻き込み嫌な思いをしたり、憤りを感じたりさせてしまったのです。

執着は怒りや焦りなどの負の感情を産みだし、毒を撒き散らすことになるので良くないこと。

常常自分で言っておきながら・・・・

ミイラ取りがミイラになってしまいました()

振り返れば、今回のけフェの一件、そしてこれまでやってきたいくつかの活動の中でお多くの方を巻き込みながら結果としては中途半端に終わってしまうことは、やはり私に何らかの原因があると思っていますし、おおよその検討はついています。

結局はそして、無理やり突っ走り、体も心も傷ついていく・・・・

ガンになる前とあまり変わっておらず、同じことを繰り返していた自己満足の世界だったのかもしれませんね。

従って、これから何年かは誰かの為、世の中の為、何かを広めたり伝えなければいけないという強い思いはできる限り封印をして、これまで私を支えてくれた家族、このような今の私を必要としてくれる人のためにできることをしていこうと思います。

今の私に必要性があるのは、がん患者さんの活動くらいかな?

そんなことを思っていたら、カフェを8月末で閉店すると決まってすぐに、患者会当時からとてもお世話になっていたかたからあるお話を頂きました。
 私を必要としてくれているというありがたいお話です。

まだはっきり決まってはいませんが、とりあえずはその流れに乗ってみようかと思っています。

正式に決まったらまたお話しますね。

そんなことで、私のとりとめのない文章を最後までお読み頂きありがとうございました。