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朝になりました。



父の捜索です。


母が言うには父の11日の予定は自営の父は3件のお客さんに会うために出かけたそうです。



どこで地震に合ったのか、その3件に行って父に会ったのかを聞くこと。



心臓が良くないため、病院に運ばれたのかもしれないと市内の被災者がいる病院を探すこと。



私は姪と娘と共に留守番でした。



いとこ







やず(姪の友達)


時間帯からして最後に行ったと思われる会社へつきました。



目の前が港のこの会社は形も無惨だったらしいです。


人もいなく手がかりなし。


2件目に行こうとした時


やずが瓦礫の釘を踏んでしまったんです。



少しで血も出ていなかったけど、衛生上良くないので


一旦、母の姉の家へ



すると、そこには偶然母の兄が来ていて



今日の新聞に父の名前が載ってると




亡くなられた方という欄に


最初に弟と姉は安置所に行き身元確認した後、戻ってきました。


私は、弟に告げられました。


嘘だ、絶対違うと願いながら安置所へ行きました。



中に通されると



広い場所にものすごい数の犠牲になった方がいました。


ブルーシートに寝かされた方(まだ身元がわからないのでしょう)


ブルーシートに寝かされてお顔に白い布かけてある方(身元が確認されたばかりの方でしょう)



真ん中辺りに進むと父の棺がありました。


袋には着ていた服、靴



父の顔はまるで寝顔のような、うっすら微笑みをうかべてました。




おっとー、おっとー起きろって言っても目をあけてくれません。



起きろって、やんだよーって泣き叫びました。



それでも、目をあけてくれませんでした。


その後
父を見た母は静かに棺をなでながら



おっと、おっと



って静かに優しく話していました。



とても母が痛々しくて小さく見えました。




身元が確認された方は棺に入れてもらえるそうです。


父は3月13日朝に自衛隊の方に見つけてもらったようです。



実家から500メートルくらい先の民家の庭で



500メートルしか離れていないといっても、その辺は2メートルくらいの水が上がってます。



父は車を乗り捨てて、逃げたらしく車は見つかってません。



いつも車に免許証を入れたままにしてる父なのに



最期に父は覚悟をしたのか、身元がすぐわかるようになのか免許証を身に付けてました。


だから、すぐに身元がわかったんです。




娘に
おっかーの方が悲しいはずだから、泣くのやめよう。私も泣かないから。
あんまり泣くとおっとー心配するでしょ。と言われました。





そうだね




泣くのやめました。

すみません、大事なこと書き忘れました。


3月12日お昼過ぎ、私の上司が家に無事を心配して来てくれました。



あの地震の後、従業員全員を帰るのを待って最後に会社を出た人です。



私が無事に家まで帰れたのか心配で来てくれました。


最後まで残った上司は車を会社に残し、近くのスーパーの屋上駐車場に避難したそうです。



何分後かに海岸方面に真っ黒な波が迫ってくるのを見たそうです。



民家の2階の屋根くらいの高さだったそうです。



逃げ遅れて流される人をみんなで引き上げて、届かずに助けてあげれない人もいたと聞きました。



私が帰ったルートも1時間弱で道路は大人の胸くらいの高さまで水があがってると



ただただ恐いと感じました。


家も車も無くした方が大勢いて私はまだ幸せのほうでした。



実家も


姉の家も


私の家も


流されることなく、床上浸水でもなかったから。



ライフラインは途絶えていましたが


実家に石油ストーブがあったこと



私の家にカセットコンロがあったこと



姉の家が太陽光電気があって昼間は携帯の充電ができたこと



新聞も15日くらいに届いた以来避難所のみになりました。



支援物資も避難所にいる人にしか渡りません。



携帯が使えないことで同じ市内にいる人の安否さえわかりません。



被災地に住む私達に情報が回ってこないんです。




被災して10日くらいしてから初めてもらった支援物資は菓子パンは賞味期限が当日か切れてるものでした。



各メーカーさんがたくさんの支援物資を送ってくれたそうですがあれってどこへ消えたんでしょう。



被災地が広くて本当に大変な方達の手に渡ったのなら良いんですが……。
やっと朝がきました。



電気、水道、ガス、携帯使えません。



両親と姉家族がどうなってるのか心配で行ってみようと思いました。



外に出てビックリ。



水はすでに、ひいていたものの15センチくらい浸水した後があってヘドロの匂い



500メートルくらい先の運河が津波のせいで増水したらしいです。




実家には2キロくらいですが途中まで行くと、道路が冠水で実家に行くことができず断念。
姉の家へ向かいました。



ところどころ道路が冠水してたけど、なんとか行けました。



姉も姪も無事でした。良かった。



テレビも携帯もなくて、今何がどうなってるのかわからず、情報がないことが不安でした。




午後になり、姪の友達
(後にうちら家族のヒーローになる人物) がきて、いろいろな情報を持ってきてくれました。


ラジオも持ってきてくれました。



このスーパーでお菓子と飲み物配ってるからとか、この店はカップラーメンと水売ってるから行こうなど



実家にも救出に行ってくれました。



実家は床下浸水でしたが道路は冠水で太ももくらいまでの水(ヘドロ水)



ようやく母親が姉の家へ着



父親は帰って来なかったらしいです。



うちの地元は海と川に囲まれてます。

何個かの橋は壊れて陸の孤島になってるとラジオで言ってたからきっと帰るに帰れないんだろうと思ってました。



その日から姉の家でみんなで父の帰りを待ちました。


ライフラインもなく、店もやってなくて家にある食料のみ。



毎日来てくれる姪の友達に笑わされたり、すごい救われました。



変わらない日が過ぎました。



16日の夜
東京にいる弟が着


高速も空港も使えないなか、
東京~札幌へ飛行機
いとこと合流
レンタカーに食料と水を積んで青森までフェリー
青森から宮城まで車で来てくれました。




やっぱり女だけじゃ心細いんです。
ガソリンスタンドもやってなくて動けないんです。



明日になったら、父親さがしに行こう。