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経緯
去年のGW中、5月2日に亡くなりました。
享年72才、膵臓がんの末期でした。
最初は一昨年の秋に脳梗塞で倒れた事が
原因で、
左半身が麻痺して入院したのですが、
途中の検査でがんが発覚し
余命宣告3ヶ月を伝えられていたので、
ある程度覚悟はしていました。
東京単身赴任中だった私は
月に一度大阪に帰り、お見舞いに行ってたの
ですが、最後は治療もできない状態で
緩和ケアのホスピスに入院してました。
まだ脳梗塞の時は、意識もハッキリしていて
冗談などを言い合い
左半身が不自由なだけだったので
今は車椅子だけど、リハビリ頑張って
歩けるようになろうねって
重要視してなかったのですが
がんが発覚してから、見る見るうちに
弱って行く父をみて
人間の寿命についてかなり考えさせられました。
父の人生
思慮深く、もの静かな人でした。
建築設計士の会社員でしたが、
バブルの時に独立し、そのまま廃業。
仕事がなくても、手弁当を持って事務所に行き
ガツガツ営業もせず、仕事はどうにかなるさと
いう考えの人でした。
結果どうにもならなくなり
しばらくの間は失業保険と母のパートで
生活をしていたのですが
どうにか経験を活かして、工事現場の
現場監督を60才過ぎぐらいまでしていました。
人とのコミュニケーションが苦手で
以外に頑固なところもあるので
何度か所属する会社を変わったと
後で母に聞いた事があります。
そういえば、これも後から母に聞いた話ですが
廃業した時に、
右手を何針も縫う怪我をしたらしいのですが
原因を聞いても何も教えてくれなかった
そうです。
今思えば、のほほんと過ごしたフリをして
実は悩んだ末に自殺をしようと
したのではないかも…と母は言ってました。
父の性格を否定したくないのですが
神経質で弱いところもあったと思います。
誇り
私が現在住んでいる所は
生まれた時からずっと変わっていません。
あっ、短いですが一人暮らしと結婚生活で
20代の頃は違う所に住んでました。
父とは小さい頃は、よくバイクの後ろに乗って
行き先も告げられずに色々な所に行きました。
テーマパークや子供が楽しむ所では
ありません。
父が設計し完成した建物を見に行ってたんです。
ボソっと「わしが設計したんや」とだけ
言って。
何だか誇らしげに永遠と見渡していました。
子供だった私は楽しくもなく
「あーそうなんだ」としか思いません。
でも、寡黙な父が唯一連れ出してくれる
イベントがそれだったので
結構楽しみにしていました。
今住んでいる街には
父の手掛けた建築物がたくさんあります。
商業ビル、小学校、公共の建物。
逆に言えば、それらを見渡せる山の麓の
マンションを父は住居として
買ったのだと思います。
私は自然豊かなこの環境で育ちました。
長くなるので、ここから先の晩年の様子から
闘病生活までは②に続きます。
お読み頂きありがとうございました。
【Ameba Pick】
単身赴任の時に買ったのですが、
コードレスで安いのに吸引力が凄い。
今は家の掃除機では取れないラグなどの猫の毛は
これ使ってます。