このテーマでブログを書こうと思いつつ、長くなるからまとめないとと思って、時間ばかりが過ぎていたので、とりあえず書き始めることにしました
世間の「楽に生きるには」みたいな本で、よく「期待しないこと」を勧めるものを見ます。
私が過去に相談した心理士さんにも、そう言う人がいました。
他人に自分の考えを一生懸命伝えたけど、分かってもらえなくて悲しかった。
そんな時に、「わかってもらえるなんて、他人に期待するからいけないんだよ」と言われたり。
でも「わかってもらえる」と期待しないと、そもそもコミュニケーションを取る意味もない訳で、期待しなかったら、がっかりすることもないけど、結局、孤立していくだけなのでは??
おそらく楽に生きるための「期待しない」というのは、「期待が叶わなかった時に、誰かを責めない」ということなのかな、と思います。
この「誰か」には自分も含むので、実はこれが結構難しい
期待が叶わなかった時に、自分に何か問題があったのでは??と考えてしまうと、自分が辛いです。
自分を守るために、「自分には必要のないことだったんだ」とか、無理矢理の意味付けをしたり。
叶わなかったことを受け入れて、何を変えたら次はうまくいくか??を考えることは大事ですが、世の中には自分ではどうしようもないこともあります。
ちなみに以前の私は、バスが遅れたり、推しのライブチケットの抽選に外れても、死ぬほど落ち込んでいました(笑)
自分の現実は全て自分が作り出しているのなら、バスが遅れたのは、私の精神の構造に問題があったからじゃないか・・・とか
でもこれって、自分の中にある二元性(バスが遅れる=悪いこと)であったり、必要以上に深刻になってしまう、自分の余裕のなさが引き起こしたもので、別にバスが遅れても、抽選に外れても、シンプルに「あー、残念だったなー」と、がっかりすれば良いだけだと気づきました。
誰かを責めるのではなく、普通にがっかりする。
それを練習していくと、期待することが怖くなくなリました。
ちなみに人に分かってもらえると期待して、一生懸命伝えて、分かってもらえなかったとしても、考え方が違うんだな、と受け入れられるようになりました。
「自分が人生で何を大切にしているか?」みたいな話は、それぞれ歩んできた人生が違うので、分かってもらえないこともあります。
でも「(人生で大切にしているもののために)この仕事は断ります」といった、行動に関するところを分かってもらえたら、それで充分なんだと思います。
そんな訳で、安心して期待して、安心してがっかりしましょう!(がっかりする前提なのか!?)
もうすぐ推しのライブチケットの抽選結果が出るので、申し込んだの全部当たるよね!!と期待して日々を過ごしてます(笑)