こんにちは
JMAA:日本メディカルアロマテラピー協会
認定アドバイザー
石田勝紀先生ママカフェ
認定ファシリテーター
Lavande Vraie ~ラヴァンド ヴァレ~
satokoです
やはり。。。
間が空いてしまいました…
現在の私は娘が中学生になり朝の4時に起きてお弁当を作っている有り様で
ほぼほぼ昼間ボーっとしています
なかなか意識のある時間が少なく(笑
今だ!とやっています
話を戻して〜
娘の生活を少しでも今まで通りに過ごさせる為にどうするか
普通「がん」になるとみんな隠す傾向にありますよね
人に知られたくない
同情されたくない、なのかな
私も正直そうでしたが娘1番
自分のこたぁどーでもいい
そんなプライド、ポイよポイっ
まず幼稚園に知らせました
園長先生以下先生方に娘が不安定になって突然泣き出したりするかもしれないからフォローをよろしくお願いします。と
そして娘をお願いできる可能な限りの園ママ達に事情を話しまくり娘をフォローしてもらうことにしました
まず夫が出社する時間と園バスの来る時間に1時間のズレがありました
同じマンション、同じ幼稚園、同じクラスの園ママにその1時間をお願いしました
お弁当は同じマンション、同じ幼稚園の園ママが
「パパさんお弁当作れないでしょ。私でよければ作るよ」と
夫は当時お弁当箱を洗った記憶がないと言っていました
後で聞いたら園バスから降りてきたらそのママさんがお弁当箱を回収してくれていたようでした
私の手術日は10/28
ハロウィン間近
幼稚園のつくし組でハロウィンパーティーがその日にありました
手術日前前日に入院だったので私のせいで参加できないのはかわいそすぎて
娘が懐いている何人かのママさんにお願いしました
大きな病気をすると家族内でなんとかしようとまずは思うでしょう
でもしなくてはいけない事をピックアップしていくと自分達の親にも無理な事が出てきます
とくに朝
6時半に家に来てくれって高齢の親には頼めません
すると住まいが近く娘が懐いている
同じ幼稚園に通っている園ママ達
本当は嫌でしたよ
乳がんになったなんて言うの
同情されるのと同時に
「あ〜私は癌でなくてよかった〜大変だから気をつけなくちゃ」って安堵するネタになる
乳がんになっただけでも受け入れるの容易じゃないのに人様に頭下げるなんて
でもね、先ほどにも述べましたけどそんなのチッポケな事
自分じゃないの、娘の生活を守る為ならそんなプライド「へ」でもない
するとね、人間自分より可哀想な人がいると一致団結するんですね
さほど仲良くなかったママとかも娘を外に連れ出してくれて「さとちゃんは家でゆっくりしてなよ」って言ってくれて
私の「がんになって可哀想な人」を助けてあげようってのがあったとしても世の中捨てたもんじゃないなぁと思いましたよ
つくし組のいろんなママ達が私を助けてくれようといろいろしてくれました
私が抗がん剤治療で体が動かない時を見計らって娘を連れ出してくれたのは本当に助かりました
毎朝、娘を預かって時には朝食も出してくれて
お仕事もしてるのに本当に大変だったと思います
お弁当を「2つも3つも作るの一緒だから!」と作ってくれたママ友
いやぁ一緒じゃないじゃん 笑
私は本当にいい人たちに恵まれてるなぁと心底思いました、ついこの間までは
やっぱりね人間「自分よりも不幸」な人を助けてあげたいんです
その「可哀想な人」が元気になるともういいみたい
今はこの素晴らしかった人間関係のつながりはありません
見かけは「元気」
この人たちにとっては「可哀想な人」を助けた過去の事
私にとっては、癌経験者にとっては過去のことではありません
常に体力の無くなった体と闘い、再発に怯え、娘といつまでこんな風に暮らしていけるのか
私が出来なかった『大人になってからの「元気なお母さん」と過ごす』ということをしてあげられるのか
常に不安と闘い私にとっては一生「現在進行形」です
まぁそんな人間関係のショックを6年後に受けるとしてもその時を乗り切るためにはやはり「遠くの親戚より近くの他人」です
とくにお子さんが小さい場合は周りにお願いするのが一つの手だと思います
恩を感じるけど元気になって数年たてば相手から離れていきますから
以上が入院中の娘の生活を守る為に、入院までにした事でした
娘の受験でお休みしていたピアノ
次回の発表会のアンサンブル
プッチーニ作 誰も寝てはならぬ
アンサンブルは自分だけではないので緊張するから避けてきたんですがー
2年ぶりの発表会、がんばります
ソロもあるんだよなぁ。。。
最後までお付き合い頂きありがとうございました